名誉教授の独り言(247)爪を切る
更新日 令和5年1月9日
現役医師をしているときの習性の一つに週末に両手の爪を切ることがありました。1週間に4~5例の手術をしていましたのでそうしていました。今では全く手術をしていないのでそのような習慣は無くなってしまいました。
年末、年始の休みも明け、今週から働かねばならなくなり久しぶりに爪切りをしました。そんなに長くなってない爪を切ってもさっぱりするものです。
それにしても最近は働かなくなりました。週に一度富津にある病院で整形外科の診療をしているのですが先週は腰の手術を受けた関係で3週ほど休んだところ、多くの患者さんが復帰を待っていてくださいました。私と同い年位の患者さんたちで平均年齢は80歳ぐらいでした。今更ながら大変有難いと感じています。
今日は弟の月命日だったので弟の家に行きお線香を上げてきました。人生段々と寂しくなります。
名誉教授の独り言(246)エリザベス女王
更新日 令和4年9月23日
英国のエリザベス女王が9月8日に96歳でお亡くなりになりました。英国国民は元より全世界の人達に愛された女王様でした。英国国民の3人に一人は女王にお会いしたことがあるという大変フランクな方だったようです。実は私がイギリス留学中に近くの競馬場で何か催し物をやっていることを聞きつけ、お上りさん風に行ってみたら競馬場のお庭で女王様にお会いしてしまいました。当日は雨降りで女王様は長靴で頬被りしており、お付きの人は高齢の女性一人でした。私は始め気付かなかったのですが、カミさんが「女王様よ!」と教えてくれたので慌てて良く見たら女王様でした。その後も何かの機会に2度ぐらいお会いしたように思います。
日本では天皇陛下にお会いしたことは大相撲を見に行って国技館の2階におられる昭和天皇陛下を遠目に拝見したことが1回だけあります。女王様はお付きの人は1人だけでしたが天皇陛下は多くのお付きの人に守られていました。
エリザベス女王様にお会いすることが出来たのは我々夫婦にとってとても素晴らしい思い出です。
名誉教授の独り言(245)トミーズバンカー
更新日 令和4年7月19日
現在スコットランドのSt. AndrewsコースでThe Openが開催されています。日本では全英オープンと言われていますが、イギリスでは世界でただ一つの最高のopen ということでThe Openと言っているのだそうです。1978年に中嶋常幸プロが大活躍した時に、私は丁度ロンドンに留学していた関係で3日目は土曜で他にすることも無くBBCで朝から9時からのTV放送を見るためテレビの前にずっと座っていました。The openの前にはゴルフ好きな仲良しのレジストラー(イギリスではレジデントの事をこう呼ぶ)とThe Openの話を楽しく会話していました。中嶋プロは3日目の17番ホール迄は首位争いに絡んでおり、第2打が運悪くバンカーに入ってしまい、そこで脱出に何と4打を要し一気にトップ争いから脱落してしまいました。BBCは”Oh poor boy, Nakajima”と言っていました。
中嶋選手はラウンドが終わった時にキャデーをしてくれた言葉の通じない地元の中学生に“Sorry Niel”と言ったそうです。その後にその bunkerは中嶋選手の愛称であるトミーから”Tommy’s Bunker”と名付けられ有名になりました。
留学も終わり帰国してから私は日本プロゴルフツアー機構の医事委員長を10年ぐらい勤め、その会議で中嶋プロとお会いする機会があり、「あの時はどうだったんですか?」と聞きましたら「ホテルに帰って一人で泣いていましたよ」と言っていました。以後その話はしませんでした。
名誉教授の独り言(244)平均寿命
更新日 令和4年6月27日
現在の日本人の平均寿命は男81.64歳、女87,74歳のようです。 私は現在81歳2ヶ月なので年末には平均寿命に到達するようです。そろそろ健康診断も定期の胃カメラもやらなくても良いのではないかと思い、前回の胃カメラの後に主治医にその旨言いましたら主治医から「私は千葉医学会の重鎮である先生の健康管理を任されているので、私からそのように言うわけには行きません。是非とも年に1~2回なので来て下さい。」と言って頂きました。大変嬉しく、有難く思い、時々通院することにしました。
昨日のゴルフは大変でした。暑い中でのプレーでペットボトルを2本飲み終わっても水分不足を感じ、風呂上りにコップ5杯の水を飲みました。顔面と両前腕、膝下はやけど状態でした。スコアーは64、67でもうゴルフは辞めようかと思いました。体がクタクタに疲れてしまい、食後にバタンキュウでした。その後、夜中に目が覚めて改めてマイスリーとワインを飲み、朝6時に起床しました、どういう訳か今日は余り疲れも無く午前中に1時間ぐらいの散歩も出来ました。昨日の新袖は1週間前に行った女子プロトーナメントが使った芝をそのままで全く刈って無く、大変難しかったのでこのスコアーだったと思い直し、この調子ならもう少しゴルフを続けても良いんかなと思いました。
来週からまた頑張るぞ!
名誉教授の独り言(243)講演準備
更新日 令和4年6月12日
私のかつてのお弟子さんが病院長をしている病院の創立50周年祝賀会を秋に開催するということで祝賀会の後に記念講演会をしてほしいというご下命があり、初代病院長であった現病院長のお父様とも大変仲良くしていたので暇を託っている身で、断る理由も無いので引き受ける事としました。
何となく「江戸の名医は死して借財を残す」という演題が浮かんできたので、そのようにお伝えしました。でもよく考えてみると内容的には知っていることは多くなく、慌てて勉強しようと思い、千葉大学図書館ゐのはな分館に行ってきました。以前にそこに行ったときに地下1階に名誉教授勉強室として窓の外が緑で囲まれた個室があり大変気持ち良く勉強させて頂いた記憶があり、その日もそこを使わせて頂きたいとお願いしたところ、もうあそこは物置になってしまい、今はあのような部屋はありません、一般利用者が使う机と椅子を使ってください、とのことでがっかりしました。2~3時間勉強し、お昼になったので、学生の頃から良く通ったゐのはな坂にあるラーメン屋に行ったら、しばらくしてからその店のおじいさん店員が「守屋先生では無いですか」と言ってきたのでよく見たら見覚えのある顔で「ワ~覚えていてくれていて、うれしい」と言ってしまいました。冷し中華を美味しく頂いて帰ってきました。
ゐのはな分館は多分、利用する名誉教授が少なく個室が無くなってしまったのではないかと思いました。自分自身もそんなに図書館を利用する方ではないので仕方ないかと思いました。
当日、このようなことを調べたいのでよろしくお願いします、とお願いしたのですが、大した資料はありませんでした。
夏ごろにもう2~3回通って本居宣長の話を中心に少し話を膨らまそうと思っています。話の芯は「医療というのは世の為、人の為にある」ということで纏めようと思っています。
どうなりますか。
名誉教授の独り言(242)81歳で思う事
更新日 令和4年5月13日
私は今日をもって81歳になりました。77歳の時にスポーツクラブの駐車場でブレーキとアクセルを踏み間違え車を壁に激突させ、幸いに人身事故にはならずに済みましたが、それから、車を手放し運転免許も更新しないで過ごし、何かと辞めることが多くなり、自分の生き方が消極的になって来てしまいました。結果としてゴルフもイップスになってしまい、辞めようかなどと考えたりもしていました。昨年11月、12月、今年1月、2月には月に1~2回ぐらいしかゴルフには行きませんでした。先週は54,52だったので、最近またゴルフを続ける気持ちになってきました。昨日は61,50でした。少し練習をすれば50を切れるようになるかもしれません。これでゴルフは当分は辞めないことになりそうで、しばらく頑張って見ます。年のせいかコンピューターが苦手になっています。ネットで申し込むとかはつい躊躇してしまいます。81歳でこれらを克服するのは難しい気がしています。
近くの貸農園の隣の空き地にいる雉のケンタ君は元気にしています。3月、4月の寒い日や雨の日は鳴き声も聞こえませんし、姿も見せません。でも、最近は毎日お会いしています。あんなに奇麗な鳥が絶滅させられずに家の近くにいるのが不思議です。でも毎日お会いするのが楽しみです。
明日から令和4年の9月場所が始まります。今場所は5日通うつもりです。大関庵が廃業してしまい楽しみが一つ減ってしまいましたが両国行きも辞めないで済みそうです。
名誉教授の独り言(241)医師を志した理由
更新日 令和4年4月8日
私は代々続いた造り酒屋の3男坊です。その私が何故医者になったのか良く聞かれましたが、実は母親が子供の私の言動を見て「この子は医者に向いているのではないか」と思い、私が小学校4年の時に、成東駅の前にあった本屋さんに行き「野口英世の伝記」を買ってきて、「親戚縁者に医者はいないのでこの本を読んで自分で医者になりたかったらなりなさい」と言ってくれました。その本を2回読んで、医者は世の為、人の為に尽くす仕事だと認識し、と医者になろうと思いました。でも、蓮沼村の小学校や中学校では全く勉強しなくても成績はいつも1番か2番でした。中学3年になった時に母親から「本当に医者になりたいのか?」と聞かれ「実は噺家か医者になるか迷っている」と言ったら「医者を目指しなさい」と言われ、千葉市内の緑町中学に転校する手続きを取ってくれました。1学期の中間試験の1週間前でした。
中間試験の結果は同級生500人の250番あたりでした。自分でもびっくりし、それから必死で勉強しました。1学期の期末試験で250番ぐらいになり、2学期の中間試験で100番ぐらい、期末で50番ぐらいになり、クラス担当教師からやっと千葉1高の受験を許してもらいました。
その後は1年浪人し千葉大医学部に合格しました。卒業後は東京第1病院で最後のインターン生として1年間を過ごし、母校の整形外科に入局しました。その後、同級生で気の利いた人は早々と開業したリ他の大学に引き抜かれたりしていましたが気が付いたら私一人残されてしまっていました。勉強もそれほどせずに、そのまま何となく大学に残っていたら助教授にさせて頂き、その後1年も経たないうちに恩師井上駿一教授がお亡くなりになってしまい、葬儀などをしているうちに教授選になってしまい、いつの間にか自分が教授に選出されてしまいました。
以後は流れに乗ってやっと定年まで勤めました。
人生とは色々あるものです、
名誉教授の独り言(240)雉のケンタ帰郷
更新日 令和4年3月12日
以前にもこの欄に自宅近くの牧草地に毎年初夏に来る雉の事を書きましたが彼が今年も来てくれました。もう来ているという噂を聞きつけ昨日行ったときには「ケン、ケーン」という鳴き声を聞くことは出来ましたが、姿は見えませんでした。今日は朝食後に散歩がてら行ったら貸農園と小道の間に何か黒っぽいものが立っていたのでそっと近付いたら雉でした。この冬に牧草地の草刈りが行われ、除草剤がまかれたという噂があり、もうだめかと半ばあきらめていたので大変嬉しかったです。
世の中には新型コロナ感染やロシアのウクライナ攻撃など嬉しくない話題が多いですが、その中で雉の帰還は私としては嬉しいニュースです。都心から1時間の住宅地に雉が来るということは大変珍しい事ではないかと思います。これが出来るだけ永く続いてくれることを願っています。
名誉教授の独り言(239)近況報告
更新日 令和4年2月22日
私は千葉県の(前)山武郡蓮沼村、(現)山武市蓮沼の生まれ育ちです。気候温暖で子供の頃には、2,3回しか雪が降った記憶はありません。
大学も千葉でしたので気象環境は変わらず、是非とも雪が沢山ある光景を見たいと思い医学部のスキー部に入部しました。スキーも持っていないし、あたらしいスキーを買うほどのお金もなかったので先輩のお古を安くゆずってもらいました。万座スキー場で先輩のご両親がやっていた旅館がありそこでごろ寝の合宿に参加しました。始めてみる雪の景色には感激しました。しかし、スキーそのものは中々上達しませんでした。
右には直ぐに曲がれるようになりましたが左にはなかなか曲がれない日が続きました。それなら曲がれなくてよいノルディックをやるように言われ、ノルディック要員として過ごしたりしました。スキー部と言ってもそれほどスキーも上手にならずに卒業してしまいました。という訳で今回の北京オリンピックも余り興味を持てませんでした。
1月25日に残胃に出来てしまった腺腫を胃カメラで切除してもらいました。ほっておくと又胃がんになる可能性が高いということでやってもらうこととしました。4日間の入院でお役御免になりました。退院し1週間くらいした時に海浜病院の主治医から胃カメラで切除した切除片の病理検査結果がメールされてきました。幸いにして癌では無かったようでした。お礼のメールに「有難うございます。安心しました。ところでアルコールは何時から良いのでしょうか」と書いたのですが、それについては返信を貰えませんでした。体調を見ながら適当にやっています。
2月13日にゴルフに復帰したのですが久しくクラブも握ってなかったのでゴルフにならずここにはスコアーも書けません。その後練習をしなければと思っているのですが今年の冬は寒くて練習に行く気も起りません。早く暖かい春が来るのをただ待っています。
名誉教授の独り言(238)新年のご挨拶
更新日 令和4年1月31日
間もなく令和4年1月も終わろうとしています。別に特別忙しかったわけでも無いのですが何やかやとあり「独り言」書きそびれてしまいました。1月場所が1月9日から23日まであったのが主因かもしれません。既にお伝えしましたように私は砂被りの席を昨年一杯で手放しました。その際、後を継ぎたいと、かつてのお弟子さんが名乗り出たので日本相撲協会と相談し彼を後継の人と決めました。彼は関西で大規模な医療法人を父親から継承しており15日間国技館には来られない事は判っていました。少しは手伝うと約束はしていたのですが、まさか6日分送って下さるとは思っていませんでした。その内1日だけは知人に行ってもらいましたが、残り5日は自分で行ってきました。丁度、腰の痛い時期とも重なりそれなりにしんどかったです。
その他に昨年10月の定期胃カメラで何か腫瘍があると言われ1月25日に胃カメラ下摘出術を受けました。2日間絶食、その後の食事制限でかなりやせてしまいました。今、慌てて食べています。もうすぐ元気になるでしょう。その1月場所中に日本相撲協会の事務員から電話がありました。「砂被り1列目のお客さんはどこに靴を置いたら良いのか教えて下さい」とのことで驚きました。誰も教えてくれないので「長く1列目に座っている守屋さんなら教えてくれるだろう」と思い電話したそうです。仕方ないので私が先輩から教えて頂いたことを教えておきました。変なことがあるものですね。
胃カメラの術後経過も良好ですので、80歳ですが間もなく元気に活動再開出来ると思っています。
これをもって新年のご挨拶とさせていただきます。今年も宜しくお願い申し上げます。
名誉教授の独り言(237)年末のご挨拶
更新日 令和3年12月31日
今年も色々ありました。3年前にアクセルとブレーキを踏み間違い駐車場の壁に激突。人身事故にならずに済んで大変良かったです。でもその後、自動車の運転は辞めると決め、以後車も手放し運転は全くしていません。
2年2ヶ月前に自宅の階段を踏み外し転落し左足関節内果骨折とアキレス腱断裂を受傷、大学病院で手術をして貰い、術後療養中の3月に夜中トイレに行こうとベッドを降りようとして左足関節の不具合で転倒、右手第4指マレット骨折、その1ヶ月後に今度は左手を着いて左手関節骨折、共に保存的治療にて経過観察、何とかしのぐことが出来ました。
昨年9月からゴルフを再開しましたが上手くいかず今でも今後どうするか悩んでいます。この1年に20ラウンドぐらいしましたが100を切ったのは1回だけ、平均110ぐらいでした。友人、知人は絶対に辞めるな、と言ってくれますが迷っています。年が明けたら決めます。
皆様良いお年を。
名誉教授の独り言(236)ゴルフ復帰第1戦
更新日 令和3年12月14日
白内障術後約1ヶ月が過ぎ町内会の知人のお誘いで昨日、ゴルフに行ってきました。
術前にゴルフがイップスのようになってしまっていたので、ちゃんと打てるかどうか不安でしたので前日に練習場に行ったのですが、何と練習場が混んでいて1時間ぐらい待つと言われ、全く練習せずに帰ってきてしまいました。
80歳の老人がゴルフクラブを6本入れたクラブケースを背負ってバスで10分、その後練習場迄15分歩いて行く努力は我ながら偉いと思いました。更に2ヶ月休んでいたゴルフを再開するのには勇気がいりました。
朝、ゴルフコースに着いてから練習をする時間も充分には無く10分ぐらいパターの練習をして本番に臨みました。昨日は千葉のゴルフ場としては珍しい高麗グリーンでした。1番のティーグラウンドに立ち、不安のままクラブを振り下ろしたのですが、何とちゃんと当たりました。何となく不安が減少し、そのままプレイを続けることが出来ました。前半はパー1回、ボギー1回、後はダボとトリプルでした。でも、やはりヨセやパターでイップス気味なことが2~3回ありました。結果として上がって54でした。昼食時もそれほど疲労感も無くビールも飲まず、昼食を済ませ、午後も普通にゴルフが出来ました。最終ホールでグリーン前の池に期待通り池ポシャをしてしまいましたがスコアーは54でした。風呂に入り帰宅しましたが、大変幸せを感じました。帰宅後に一緒にラウンドした3名と町内会の知人もう1名で近くの寿司屋さんで打ち上げをしました。2時間ほどいたのですが大変疲れてしまいました。
この後、練習場でfairway woodとshort ironを練習すべきと思っています。
年内にもう2回、年明けにもう2回予定が入っています。何とかなりそうです。頑張ります。
名誉教授の独り言(235)白内障術後報告
更新日 令和3年11月27日
白内障の術後に良く見えるようになるのは期待していた結果ですが思わぬ効果があったので、その報告をします。
- 思わぬ効果のまず第1は腰痛の改善です。はっきりした理由は判りませんが視力が改善し体の姿勢が良くなり腰椎を真直ぐにした状態て日常生活をしているようになり腰椎に余計な力が加わらないからかも知れません。
- 会話などで固有名詞が出やすくなりました。眼から入る情報量が多くなり脳ミソが術前より活性化されたのかもしれません。
- 食欲が以前より出てきました。術前半年ぐらいで特別な理由もなく3Kgぐらい痩せてしまったのですが、術後10日位で1Kg戻りました。ご飯もたくさん食べられるようになりました。
- パソコンを打ちやすくなりました。相変わらず打ち間違いはありますが、それなりにスムーズに打てるようになりました。これも脳ミソの活性化のお陰かも知れません。
- 書字がし易くなりました。先日はハガキの本文をすらすらと書けたので仕事が終わったと思い、宛名の書かれたメモを他のメモと一緒にシュレッターしてしまい、相手の宛先が判らなくなり、大変困りました。
- アルコールは術後「嗜む程度にするように」と指示されていたので嗜んでいたら術後2週間で元に戻ってしまいました。
- ゴルフはまだやってないので判りませんが家の猫の額ほどの庭でアプローチをしてみたら上手く出来たので本格的な復帰を楽しみにしています。
耳の不自由な方や目の不自由な方が認知症になりやすいと聞いたことがありますが、もしかしたら白内障の手術は認知症の予防あるいは進行予防に役立つのかも知れません。私も3年前にブレーキとアクセルを踏み違え、車を1台台無しにしてしまう前に手術を受けておくべきだったと今頃になって後悔しております。
名誉教授の独り言(234)白内障の手術を受けました。
更新日 令和3年11月19日
先日、右眼の白内障の手術を受けました。10年ほど前までは年に一度の健康診断で眼については「年相応の白内障があるが手術をする程では無い」と言われていました。自覚的にも不自由は無かったので何もせずに来ました。半年ぐらい前からゴルフが絶不調になり年のせいかと思っていたのですが、特に急にアプローチが下手になってしまい、ダフッたり、空振りしたりするようになってしまいました。医学書はもちろん、新聞も読むのが苦しくなり、メール(パソコンも)も打ち辛くなってしまいました。
眼科を受信したら白内障があり、特に右眼がひどいと言われ、治療法は手術しかないということだったので、手術をして貰うことにしました。友人たちから「まだ手術してなかったの?」とか「若いねー!」とかいろいろ言われていました。
手術3日前から点眼剤を差し、手術日を迎えました。
80歳のわがまま老人にとって点眼麻酔だけで手術台に横になるのは一寸苦痛でした。10分か15分で終わると説明頂いていたのですが術中に「まだレーザーで水晶体を粉砕しているなー」とか「洗浄しているなー」とか、知っているからこそ「まだまだ終わらないなー」と思ったりして我慢しました。途中に右の頬の部分が痒くなったのですが何とか我慢しました。
術後に控室に行ってから左眼がごろごろし視野が霞んでいて「何故なのか?」、と主治医に尋ねたのですが明快なお答えは頂けませんでした。これは術中に左眼(非手術側)を右眼と一緒に開け続けていたのでdry eyeになってしまったようで術後に徐々に治ってきました。
手術翌日に目が覚め指示に従い右眼の眼帯をそっと外したら物凄く明るくclearに見え嬉しくてカミさんのところに行き、その旨言ったら「今、夜中の12時よ!」と言われてしまいました。良く時計を見たら12時20分でした。疲れて熟睡して夜中に目が覚めてしまったようです。もう一眠りして朝のラジオ体操に行きました。仲間の一人のお婆―ちゃんに「皺が良く見える」と言ってから慌てて「こんなに美人だったんだ」と言い直しました。仲間の一人から「今後ゴルフはどうするの?」と聞かれましたので「こんなに良く見えるようになったのにゴルフを止めてしまう選択肢は無い!」と答えておきました。景色が明るくなり生まれ変わったように感じました。テレビも良く見えるようになりました。
手術3日目から「アルコールは嗜む程度に飲んでも良い」との指示だったのでワインを嗜む程度に飲んだら開放感があり熟睡出来ました。
こんなに良く見えるようになるのならもっと早く手術して貰うべきだったと改めて思いました。今後が楽しみです。
名誉教授の独り言(233)サラバ大相撲
更新日 令和3年9月30日
令和3年9月場所が終わりました。照乃富士の大活躍で12勝3敗の優勝でした。私は照乃富士の全勝優勝と予想したのですが全勝はならず、でも立派な優勝でした。両膝を負傷していたのに以前のように相手を振り回してぶん投げる相撲では無く慎重にまわしを取ってゆっくりと寄り出す相撲で2敗はしましたが体の状態にあった理にかなった相撲でした。
今場所はコロナ禍で出稽古禁止だったこともあり、お相撲さんは稽古不足だったのではないかと感じました。そのせいか叩かれるとバタッと前に倒れてしまい、押されるとズルッと土俵を割ってしまう場面が多かったように思います。その点、関取の多くいる伊勢ケ浜部屋は稽古十分で照ノ富士はじめ宝富士なども好調でいた。全体として10日目過ぎから稽古もしっかりしたせいか、ちゃんとした攻防を見せる好取組が多くみられました。
以前にも書きましたが、私は今場所で溜り席を辞めますがこの15年間大相撲と関りを持ち、大変充実した定年退職後の人生を過ごさせて頂きました。長嶋茂雄氏流に言うと「fruitfulな毎日」でした。有難うございました。
とここまで書いたところで白鵬引退のニュースが入ってきました。白鵬関は私が横審に御指名を頂いた年に横綱になり、奉納土俵入りに間に合うようにイタリアからパリ経由で成田に着き家内が空港まで迎えに来てくれて家に帰り、風呂に入ってそのまま電車で東京へ行ったことを思い出します。奇しくも私は今場所で砂被り席(維持員席)を辞めさせていただくことにしていたのですが、白鵬関が引退するとのことで奇妙な因縁を感じます。白鵬は若い時は優しい気遣いの出来る素晴らしい青年でしたが優勝回数を重ねるうちにダメ押しはする、かちあげはする、万歳三唱はする、などなど悪評高くなりました。残念な事でした。
今後は親方として多くの弟子を育ててくれることと思います。大相撲の益々の盛況を願っています。
今後、私はゴルフの練習を再開します。