名誉教授の独り言(251)ピーポ・ピーポ
更新日 令和5年9月16日
その中に入学試験の採点の仕事もありました。
ある年の入試の採点で英語の科目で和文英訳の問題で「救急車が・・・」の問題があり、その受験生の回答が「・・・pi-po-car・・・」とあり、笑ってしまいカナダ人の試験官に「〇にしませんか」と聞いたのですが、「ダメです」という答で仕方なく×にしましたが、心の中では〇でした。
試験開始時間に遅れて来た受験生がおり、その理由を聞いたら「母親が急病になり、病院に送って行ったら遅れてしまいました」との事で、大変親孝行だと思い許そうと思ったのですが、一緒に試験管をしていた先生が不自然だという事で更に追及したら、単なる寝坊だったと判り失格にしたことも在りました。
定年退職まで後1年という時に政権与党の千葉県選出のボスから呼び出しがあり、行ったところ「県知事選に出てくれ」というもので慌ててお断りしたのですが、色々と揉めました。でも今でも選挙に出なくてよかったと思っています。
名誉教授の独り言(250) 82歳の誕生日
更新日 令和5年5月13日
今日の誕生日で82歳になりました。そんなに長生きしたつもりは無いのですがいつの間にかこの年になってしまいました。
コロナもどうやら落ち着いてきたようで大変良かったと思っています。
私は千葉で生まれ千葉高、一浪して千葉大学医学部に入学、卒業後は定年退職まで千葉大学にいました。その後は鹿島労災病院長を4年、千葉市立病院事業管理者を3年、その後は現在まで富津の個人病院に週1非常勤医師として現在に至っています。途中、横綱審議委員や日本プロゴルフツアー機構の医事委員長を10年ぐらいしました。いろいろな経歴の中で多くの方と知り合い、ご指導いただき楽しく過ごしてきました。
自分では想定外の最高の人生でした。
65歳の時に胃がんが判り胃の3/4を切除する手術を受け、その後残胃癌を2度経験しましたが今は元気です。昨日も会員であるスポーツクラブに行ってきました。先週大学病院で内科教授の定期の診察を受けた時に当分は大丈夫だろうというお言葉を頂きました。
もう私利私欲は全くありません。もう自家用車は持っていませんし運転免許証は返納しました。お迎えが来たら何時でも行くつもりです。それまで楽しく過ごすつもりです。
では、また。
名誉教授の独り言(249)新型コロナ終焉近し
更新日 令和5年2月19日
相変わらず新型コロナで大騒ぎしていますが、どうやら沈静化しつつあるようです。私の術後経過は」両下肢の痺れはほぼ消失しましたが、腰痛は軽くなったものの、まだ全快というわけには行きません。暖かくなる日を待っている状態です。
常勤の仕事や会の要職にあった頃は必ず出席しなければならい仕事がありましたが、今は週に1日だけの非常勤(それも送り迎え付き、午前中だけ勤務)なので大変楽になりました。腰痛があっても痛み止めを飲めば仕事は何とかこなせます。1月5日から復帰しました。
あと3ヶ月で82歳なので我ながら良くやっていると思っています。今問題なのは何時仕事を辞められるかということです。自分では、もうそろそろとも思っているのですが、色々と事情があり辞められません。
今は近くのバス停に行くのに途中3回ぐらいは休まないと行けないほどです。暖かくなったら何をするか考えています。ゴルフは昨年10月からやってないのでもう出来ないのではないかと思っています。ジョギングももう無理でしょう。どうしたものでしょう。
名誉教授の独り言(248)元気になりました。
更新日 令和5年2月3日
昨年12月に腰の手術をして貰って大分良くなりました。両下肢の痺れはほぼ消失しましたが、腰痛は軽くなったもののまだ全快というわけには行きません。
常勤の仕事や会の要職にあったころは必ず出席しなければならい仕事がありましたが、今は週に1日だけの非常勤なので大変楽になりました。腰痛があっても痛み止めを飲めば仕事は何とかこなせます。1月5日から復帰しました。
あと3ヶ月で82歳なので我ながら良くやっていると思っています。今問題なのは何時仕事を辞められるかということです。自分では、もうそろそろとも思っているのですが、色々と事情があり辞められません。
名誉教授の独り言(247)爪を切る
更新日 令和5年1月9日
現役医師をしているときの習性の一つに週末に両手の爪を切ることがありました。1週間に4~5例の手術をしていましたのでそうしていました。今では全く手術をしていないのでそのような習慣は無くなってしまいました。
年末、年始の休みも明け、今週から働かねばならなくなり久しぶりに爪切りをしました。そんなに長くなってない爪を切ってもさっぱりするものです。
それにしても最近は働かなくなりました。週に一度富津にある病院で整形外科の診療をしているのですが先週は腰の手術を受けた関係で3週ほど休んだところ、多くの患者さんが復帰を待っていてくださいました。私と同い年位の患者さんたちで平均年齢は80歳ぐらいでした。今更ながら大変有難いと感じています。
今日は弟の月命日だったので弟の家に行きお線香を上げてきました。人生段々と寂しくなります。
名誉教授の独り言(246)エリザベス女王
更新日 令和4年9月23日
英国のエリザベス女王が9月8日に96歳でお亡くなりになりました。英国国民は元より全世界の人達に愛された女王様でした。英国国民の3人に一人は女王にお会いしたことがあるという大変フランクな方だったようです。実は私がイギリス留学中に近くの競馬場で何か催し物をやっていることを聞きつけ、お上りさん風に行ってみたら競馬場のお庭で女王様にお会いしてしまいました。当日は雨降りで女王様は長靴で頬被りしており、お付きの人は高齢の女性一人でした。私は始め気付かなかったのですが、カミさんが「女王様よ!」と教えてくれたので慌てて良く見たら女王様でした。その後も何かの機会に2度ぐらいお会いしたように思います。
日本では天皇陛下にお会いしたことは大相撲を見に行って国技館の2階におられる昭和天皇陛下を遠目に拝見したことが1回だけあります。女王様はお付きの人は1人だけでしたが天皇陛下は多くのお付きの人に守られていました。
エリザベス女王様にお会いすることが出来たのは我々夫婦にとってとても素晴らしい思い出です。
名誉教授の独り言(245)トミーズバンカー
更新日 令和4年7月19日
現在スコットランドのSt. AndrewsコースでThe Openが開催されています。日本では全英オープンと言われていますが、イギリスでは世界でただ一つの最高のopen ということでThe Openと言っているのだそうです。1978年に中嶋常幸プロが大活躍した時に、私は丁度ロンドンに留学していた関係で3日目は土曜で他にすることも無くBBCで朝から9時からのTV放送を見るためテレビの前にずっと座っていました。The openの前にはゴルフ好きな仲良しのレジストラー(イギリスではレジデントの事をこう呼ぶ)とThe Openの話を楽しく会話していました。中嶋プロは3日目の17番ホール迄は首位争いに絡んでおり、第2打が運悪くバンカーに入ってしまい、そこで脱出に何と4打を要し一気にトップ争いから脱落してしまいました。BBCは”Oh poor boy, Nakajima”と言っていました。
中嶋選手はラウンドが終わった時にキャデーをしてくれた言葉の通じない地元の中学生に“Sorry Niel”と言ったそうです。その後にその bunkerは中嶋選手の愛称であるトミーから”Tommy’s Bunker”と名付けられ有名になりました。
留学も終わり帰国してから私は日本プロゴルフツアー機構の医事委員長を10年ぐらい勤め、その会議で中嶋プロとお会いする機会があり、「あの時はどうだったんですか?」と聞きましたら「ホテルに帰って一人で泣いていましたよ」と言っていました。以後その話はしませんでした。
名誉教授の独り言(244)平均寿命
更新日 令和4年6月27日
現在の日本人の平均寿命は男81.64歳、女87,74歳のようです。 私は現在81歳2ヶ月なので年末には平均寿命に到達するようです。そろそろ健康診断も定期の胃カメラもやらなくても良いのではないかと思い、前回の胃カメラの後に主治医にその旨言いましたら主治医から「私は千葉医学会の重鎮である先生の健康管理を任されているので、私からそのように言うわけには行きません。是非とも年に1~2回なので来て下さい。」と言って頂きました。大変嬉しく、有難く思い、時々通院することにしました。
昨日のゴルフは大変でした。暑い中でのプレーでペットボトルを2本飲み終わっても水分不足を感じ、風呂上りにコップ5杯の水を飲みました。顔面と両前腕、膝下はやけど状態でした。スコアーは64、67でもうゴルフは辞めようかと思いました。体がクタクタに疲れてしまい、食後にバタンキュウでした。その後、夜中に目が覚めて改めてマイスリーとワインを飲み、朝6時に起床しました、どういう訳か今日は余り疲れも無く午前中に1時間ぐらいの散歩も出来ました。昨日の新袖は1週間前に行った女子プロトーナメントが使った芝をそのままで全く刈って無く、大変難しかったのでこのスコアーだったと思い直し、この調子ならもう少しゴルフを続けても良いんかなと思いました。
来週からまた頑張るぞ!
名誉教授の独り言(243)講演準備
更新日 令和4年6月12日
私のかつてのお弟子さんが病院長をしている病院の創立50周年祝賀会を秋に開催するということで祝賀会の後に記念講演会をしてほしいというご下命があり、初代病院長であった現病院長のお父様とも大変仲良くしていたので暇を託っている身で、断る理由も無いので引き受ける事としました。
何となく「江戸の名医は死して借財を残す」という演題が浮かんできたので、そのようにお伝えしました。でもよく考えてみると内容的には知っていることは多くなく、慌てて勉強しようと思い、千葉大学図書館ゐのはな分館に行ってきました。以前にそこに行ったときに地下1階に名誉教授勉強室として窓の外が緑で囲まれた個室があり大変気持ち良く勉強させて頂いた記憶があり、その日もそこを使わせて頂きたいとお願いしたところ、もうあそこは物置になってしまい、今はあのような部屋はありません、一般利用者が使う机と椅子を使ってください、とのことでがっかりしました。2~3時間勉強し、お昼になったので、学生の頃から良く通ったゐのはな坂にあるラーメン屋に行ったら、しばらくしてからその店のおじいさん店員が「守屋先生では無いですか」と言ってきたのでよく見たら見覚えのある顔で「ワ~覚えていてくれていて、うれしい」と言ってしまいました。冷し中華を美味しく頂いて帰ってきました。
ゐのはな分館は多分、利用する名誉教授が少なく個室が無くなってしまったのではないかと思いました。自分自身もそんなに図書館を利用する方ではないので仕方ないかと思いました。
当日、このようなことを調べたいのでよろしくお願いします、とお願いしたのですが、大した資料はありませんでした。
夏ごろにもう2~3回通って本居宣長の話を中心に少し話を膨らまそうと思っています。話の芯は「医療というのは世の為、人の為にある」ということで纏めようと思っています。
どうなりますか。
名誉教授の独り言(242)81歳で思う事
更新日 令和4年5月13日
私は今日をもって81歳になりました。77歳の時にスポーツクラブの駐車場でブレーキとアクセルを踏み間違え車を壁に激突させ、幸いに人身事故にはならずに済みましたが、それから、車を手放し運転免許も更新しないで過ごし、何かと辞めることが多くなり、自分の生き方が消極的になって来てしまいました。結果としてゴルフもイップスになってしまい、辞めようかなどと考えたりもしていました。昨年11月、12月、今年1月、2月には月に1~2回ぐらいしかゴルフには行きませんでした。先週は54,52だったので、最近またゴルフを続ける気持ちになってきました。昨日は61,50でした。少し練習をすれば50を切れるようになるかもしれません。これでゴルフは当分は辞めないことになりそうで、しばらく頑張って見ます。年のせいかコンピューターが苦手になっています。ネットで申し込むとかはつい躊躇してしまいます。81歳でこれらを克服するのは難しい気がしています。
近くの貸農園の隣の空き地にいる雉のケンタ君は元気にしています。3月、4月の寒い日や雨の日は鳴き声も聞こえませんし、姿も見せません。でも、最近は毎日お会いしています。あんなに奇麗な鳥が絶滅させられずに家の近くにいるのが不思議です。でも毎日お会いするのが楽しみです。
明日から令和4年の9月場所が始まります。今場所は5日通うつもりです。大関庵が廃業してしまい楽しみが一つ減ってしまいましたが両国行きも辞めないで済みそうです。
名誉教授の独り言(241)医師を志した理由
更新日 令和4年4月8日
私は代々続いた造り酒屋の3男坊です。その私が何故医者になったのか良く聞かれましたが、実は母親が子供の私の言動を見て「この子は医者に向いているのではないか」と思い、私が小学校4年の時に、成東駅の前にあった本屋さんに行き「野口英世の伝記」を買ってきて、「親戚縁者に医者はいないのでこの本を読んで自分で医者になりたかったらなりなさい」と言ってくれました。その本を2回読んで、医者は世の為、人の為に尽くす仕事だと認識し、と医者になろうと思いました。でも、蓮沼村の小学校や中学校では全く勉強しなくても成績はいつも1番か2番でした。中学3年になった時に母親から「本当に医者になりたいのか?」と聞かれ「実は噺家か医者になるか迷っている」と言ったら「医者を目指しなさい」と言われ、千葉市内の緑町中学に転校する手続きを取ってくれました。1学期の中間試験の1週間前でした。
中間試験の結果は同級生500人の250番あたりでした。自分でもびっくりし、それから必死で勉強しました。1学期の期末試験で250番ぐらいになり、2学期の中間試験で100番ぐらい、期末で50番ぐらいになり、クラス担当教師からやっと千葉1高の受験を許してもらいました。
その後は1年浪人し千葉大医学部に合格しました。卒業後は東京第1病院で最後のインターン生として1年間を過ごし、母校の整形外科に入局しました。その後、同級生で気の利いた人は早々と開業したリ他の大学に引き抜かれたりしていましたが気が付いたら私一人残されてしまっていました。勉強もそれほどせずに、そのまま何となく大学に残っていたら助教授にさせて頂き、その後1年も経たないうちに恩師井上駿一教授がお亡くなりになってしまい、葬儀などをしているうちに教授選になってしまい、いつの間にか自分が教授に選出されてしまいました。
以後は流れに乗ってやっと定年まで勤めました。
人生とは色々あるものです、
名誉教授の独り言(240)雉のケンタ帰郷
更新日 令和4年3月12日
以前にもこの欄に自宅近くの牧草地に毎年初夏に来る雉の事を書きましたが彼が今年も来てくれました。もう来ているという噂を聞きつけ昨日行ったときには「ケン、ケーン」という鳴き声を聞くことは出来ましたが、姿は見えませんでした。今日は朝食後に散歩がてら行ったら貸農園と小道の間に何か黒っぽいものが立っていたのでそっと近付いたら雉でした。この冬に牧草地の草刈りが行われ、除草剤がまかれたという噂があり、もうだめかと半ばあきらめていたので大変嬉しかったです。
世の中には新型コロナ感染やロシアのウクライナ攻撃など嬉しくない話題が多いですが、その中で雉の帰還は私としては嬉しいニュースです。都心から1時間の住宅地に雉が来るということは大変珍しい事ではないかと思います。これが出来るだけ永く続いてくれることを願っています。
名誉教授の独り言(239)近況報告
更新日 令和4年2月22日
私は千葉県の(前)山武郡蓮沼村、(現)山武市蓮沼の生まれ育ちです。気候温暖で子供の頃には、2,3回しか雪が降った記憶はありません。
大学も千葉でしたので気象環境は変わらず、是非とも雪が沢山ある光景を見たいと思い医学部のスキー部に入部しました。スキーも持っていないし、あたらしいスキーを買うほどのお金もなかったので先輩のお古を安くゆずってもらいました。万座スキー場で先輩のご両親がやっていた旅館がありそこでごろ寝の合宿に参加しました。始めてみる雪の景色には感激しました。しかし、スキーそのものは中々上達しませんでした。
右には直ぐに曲がれるようになりましたが左にはなかなか曲がれない日が続きました。それなら曲がれなくてよいノルディックをやるように言われ、ノルディック要員として過ごしたりしました。スキー部と言ってもそれほどスキーも上手にならずに卒業してしまいました。という訳で今回の北京オリンピックも余り興味を持てませんでした。
1月25日に残胃に出来てしまった腺腫を胃カメラで切除してもらいました。ほっておくと又胃がんになる可能性が高いということでやってもらうこととしました。4日間の入院でお役御免になりました。退院し1週間くらいした時に海浜病院の主治医から胃カメラで切除した切除片の病理検査結果がメールされてきました。幸いにして癌では無かったようでした。お礼のメールに「有難うございます。安心しました。ところでアルコールは何時から良いのでしょうか」と書いたのですが、それについては返信を貰えませんでした。体調を見ながら適当にやっています。
2月13日にゴルフに復帰したのですが久しくクラブも握ってなかったのでゴルフにならずここにはスコアーも書けません。その後練習をしなければと思っているのですが今年の冬は寒くて練習に行く気も起りません。早く暖かい春が来るのをただ待っています。
名誉教授の独り言(238)新年のご挨拶
更新日 令和4年1月31日
間もなく令和4年1月も終わろうとしています。別に特別忙しかったわけでも無いのですが何やかやとあり「独り言」書きそびれてしまいました。1月場所が1月9日から23日まであったのが主因かもしれません。既にお伝えしましたように私は砂被りの席を昨年一杯で手放しました。その際、後を継ぎたいと、かつてのお弟子さんが名乗り出たので日本相撲協会と相談し彼を後継の人と決めました。彼は関西で大規模な医療法人を父親から継承しており15日間国技館には来られない事は判っていました。少しは手伝うと約束はしていたのですが、まさか6日分送って下さるとは思っていませんでした。その内1日だけは知人に行ってもらいましたが、残り5日は自分で行ってきました。丁度、腰の痛い時期とも重なりそれなりにしんどかったです。
その他に昨年10月の定期胃カメラで何か腫瘍があると言われ1月25日に胃カメラ下摘出術を受けました。2日間絶食、その後の食事制限でかなりやせてしまいました。今、慌てて食べています。もうすぐ元気になるでしょう。その1月場所中に日本相撲協会の事務員から電話がありました。「砂被り1列目のお客さんはどこに靴を置いたら良いのか教えて下さい」とのことで驚きました。誰も教えてくれないので「長く1列目に座っている守屋さんなら教えてくれるだろう」と思い電話したそうです。仕方ないので私が先輩から教えて頂いたことを教えておきました。変なことがあるものですね。
胃カメラの術後経過も良好ですので、80歳ですが間もなく元気に活動再開出来ると思っています。
これをもって新年のご挨拶とさせていただきます。今年も宜しくお願い申し上げます。
名誉教授の独り言(237)年末のご挨拶
更新日 令和3年12月31日
今年も色々ありました。3年前にアクセルとブレーキを踏み間違い駐車場の壁に激突。人身事故にならずに済んで大変良かったです。でもその後、自動車の運転は辞めると決め、以後車も手放し運転は全くしていません。
2年2ヶ月前に自宅の階段を踏み外し転落し左足関節内果骨折とアキレス腱断裂を受傷、大学病院で手術をして貰い、術後療養中の3月に夜中トイレに行こうとベッドを降りようとして左足関節の不具合で転倒、右手第4指マレット骨折、その1ヶ月後に今度は左手を着いて左手関節骨折、共に保存的治療にて経過観察、何とかしのぐことが出来ました。
昨年9月からゴルフを再開しましたが上手くいかず今でも今後どうするか悩んでいます。この1年に20ラウンドぐらいしましたが100を切ったのは1回だけ、平均110ぐらいでした。友人、知人は絶対に辞めるな、と言ってくれますが迷っています。年が明けたら決めます。
皆様良いお年を。