名誉教授の独り言 (169) 横綱稀勢の里 連続優勝
更新日 平成29年3月27日
横綱稀勢の里が連続優勝しました。ただ、驚いています。13日目に日馬富士に寄り切られ左前胸部を鷲掴みにして痛がっていたので、14日目からは休場と諦めていました。その夜、懇意にしている某相撲記者さんから「どんな怪我なんでしょう?出場したらもっと悪くなるのでは?」などなど質問を受けましたが、「直接は診てないから」、とお答えしたものの、「明日から休場だろう」と思っていました。14日目(3月25日)の昼前に強硬出場との連絡が入り、「出ても勝てるとは思わない」という心境でした。案の定、鶴竜に一方的に寄り切られ「明日は休むだろう」と思っていましたが、出場しました。横綱としての義務感だったのだと思います。でも、千秋楽は照ノ富士に無様な形で負けると思っていました。後は視聴率33.3%で皆様ご存知の通りです。
その後は大変でした。携帯は鳴りっぱなし、メールは沢山来るしで、大忙しでした。中継が終わって1時間ぐらいして、内館牧子女史から「何かあったんですか?私は秋田に行っていて今、東京に帰るために新幹線に乗っているんですが」というメールがありました。内館さんは大変な稀勢の里ファンで今年の年賀状に「委員長、稀勢の里を1日も早く横綱にして下さい」と添え書きしてありましたし、前日には「明日負けても12勝だし合格ですよね」「そうだ!そうだ!」というメールを交換していました。慌てて「稀勢の里優勝」とメールしたら、「そんな事は在り得ない」との返信メールが来ました。しばらくして「そうなんですね」とのメールがあり、その後は静かになりました。
それにしても稀勢の里は良くやりました。1月場所から、それより前によくしていた目をパチクリするのも大変少なくなりましたし、変なニタニタ笑いもなくなりました。どこかでメンタルトレーニングを受けたのではないかな、という噂もありましたが、今回の活躍を見ると自分で考えてやったのではないかと私は思っています。その結果が1月場所での優勝、今回の14日目、15日目の強硬出場、優勝に繋がったのでしょうか。
照ノ富士は前日に、琴奨菊にはたき込みで勝ち大変なブーイングでしたので千秋楽は非常にやりづらかったと思います。思い出したのは朝青龍が白鵬にはたき込みで勝った後の横審で、ある委員が北の湖理事長(当時)に「理事長はああいう勝ち方をしたことはありませんでしたよね。どう思いますか」と聞いたら「私は自分のとった相撲は全て覚えています。そのうち3回はたき込みで勝ったことがあります。全て鮮明に覚えています。相手の立ち合いが低過ぎてはたき込むしか取りようがなかったのです。あれははたかれる方が悪いんです」との答えでした。照ノ富士はそのような話は知らないのではないかと思います。
それにしても稀勢の里は鈍感力でケガに打ち勝ち2連勝して優勝したのは大したものだと思います。千秋楽の様子では稀勢の里は5月場所にも出場できると思いますので、3連勝を狙ってほしいです。照ノ富士は大変素晴らしい内容の場所でしたし、北の湖前理事長の話を誰かから教えてもらい、精神的に立ち直り、右膝を上手に治して、今後活躍してくれることを願っています。
その後は大変でした。携帯は鳴りっぱなし、メールは沢山来るしで、大忙しでした。中継が終わって1時間ぐらいして、内館牧子女史から「何かあったんですか?私は秋田に行っていて今、東京に帰るために新幹線に乗っているんですが」というメールがありました。内館さんは大変な稀勢の里ファンで今年の年賀状に「委員長、稀勢の里を1日も早く横綱にして下さい」と添え書きしてありましたし、前日には「明日負けても12勝だし合格ですよね」「そうだ!そうだ!」というメールを交換していました。慌てて「稀勢の里優勝」とメールしたら、「そんな事は在り得ない」との返信メールが来ました。しばらくして「そうなんですね」とのメールがあり、その後は静かになりました。
それにしても稀勢の里は良くやりました。1月場所から、それより前によくしていた目をパチクリするのも大変少なくなりましたし、変なニタニタ笑いもなくなりました。どこかでメンタルトレーニングを受けたのではないかな、という噂もありましたが、今回の活躍を見ると自分で考えてやったのではないかと私は思っています。その結果が1月場所での優勝、今回の14日目、15日目の強硬出場、優勝に繋がったのでしょうか。
照ノ富士は前日に、琴奨菊にはたき込みで勝ち大変なブーイングでしたので千秋楽は非常にやりづらかったと思います。思い出したのは朝青龍が白鵬にはたき込みで勝った後の横審で、ある委員が北の湖理事長(当時)に「理事長はああいう勝ち方をしたことはありませんでしたよね。どう思いますか」と聞いたら「私は自分のとった相撲は全て覚えています。そのうち3回はたき込みで勝ったことがあります。全て鮮明に覚えています。相手の立ち合いが低過ぎてはたき込むしか取りようがなかったのです。あれははたかれる方が悪いんです」との答えでした。照ノ富士はそのような話は知らないのではないかと思います。
それにしても稀勢の里は鈍感力でケガに打ち勝ち2連勝して優勝したのは大したものだと思います。千秋楽の様子では稀勢の里は5月場所にも出場できると思いますので、3連勝を狙ってほしいです。照ノ富士は大変素晴らしい内容の場所でしたし、北の湖前理事長の話を誰かから教えてもらい、精神的に立ち直り、右膝を上手に治して、今後活躍してくれることを願っています。
名誉教授の独り言 (168) 横綱稀勢の里の鈍感力
更新日 平成29年2月27日
稀勢の里が横綱になってくれて、1ヶ月が過ぎました。昨年、大関で優勝した琴奨菊と豪栄道は優勝後、いかにも多忙で次場所との間に十分な稽古が出来なかったようでしたが、稀勢の里にはそのようなことが無いように祈っていました。しかし、あれやこれやと多忙の様で3月場所を心配しています。世間では2つの予想があるようで、もともと力のある力士ですし、もう優勝しなければならないというpressureもなくなるでしょうから、そこそこ活躍してくれると思う、という予想と、横綱として恥ずかしい相撲は取れないというpressureで硬くなってしまいある程度負けてしまうのではないかという予想があるようです。某新聞社のベテラン相撲記者さんに「どうでしょうか?」とお伺いしましたら、「稀勢の里はマイペースを守る方ですし、ある意味で鈍感なので大丈夫でしょう」という返事でした。「稀勢の里の鈍感力かー」と妙に納得しました。
稀勢の里は貴乃花に次ぐ史上2番の若さで十両に昇進し、そのころから将来は横綱と言われていました。平成12年11月場所直前に師匠の鳴門親方(元横綱隆の里)が急逝したのに、それにもめげず大関になった鈍感力は大したものだと思います。その後、2013年から綱取りと言われていたのに何度もここ1番という時に敗れて優勝もできず、横綱にもなれませんでした。今回やっと横綱になれましたが、次の3月場所の成績が大変気になっています。稀勢の里の鈍感力に期待して、連続優勝は無理としても、何とか3敗ぐらいまでで止めてくれればと願っています。
私は10年前に鹿島労災病院勤務中に胃癌で胃の4分の3を切除する手術を受け、以後定期的に1年に1度胃カメラ検査を受けていました。今回昨年11月の定期検査で胃癌の再発が認められ、12月6日に再発胃癌に対し胃カメラでの粘膜切除を受けました。私は慢性の腰痛があるのですが、それに対する痛み止めの服用は2ヶ月間許可が出ませんでした。その間に1月場所があり、ほぼ毎日両国に通っていて砂かぶり席に1日3~4時間座っており、持病の腰痛が大変辛くなり、腰仙ベルトと温熱シップでは大変つらいものがありました。粘膜切除の後、食事制限もあり、12月、1月とかなり無理も重なり、一時は体重が2Kgぐらい減ってしまいました。今は痛み止めを必要に応じて服用していますし、最近2週間ぐらいはやっと体が少しずつ楽になってきてゴルフもかなり回復しました。私は1月場所で横審10年、最後の2年間委員長が任期満期終了です。稀勢の里に引退の花道を飾っていただき、明治神宮手数入り、その後の直会も楽しませて頂きました。感謝感激でした。白鵬、日馬富士、鶴竜の時も出席しましたが今回が1番感動的でした。
稀勢の里がこんなに綱が似合う横綱になるとは思ってもいませんでしたし、こんなに立派な土俵入りが出来るとも思っていませんでした。元々、横綱・大関には大変強い大関で、白鵬の63連勝を止めたのも稀勢の里ですが、平幕力士にあっさり負けてしまう悪い癖があり、最終的には優勝出来ず横綱になれない時期が続きました。それでもあきらめずに大関を張り続けたのは並大抵な感覚の持ち主ではなく、かなりの鈍感力を持っているように思います。今後はその鈍感力を生かして最低でもあと10回は優勝してほしいと願っています。
稀勢の里は貴乃花に次ぐ史上2番の若さで十両に昇進し、そのころから将来は横綱と言われていました。平成12年11月場所直前に師匠の鳴門親方(元横綱隆の里)が急逝したのに、それにもめげず大関になった鈍感力は大したものだと思います。その後、2013年から綱取りと言われていたのに何度もここ1番という時に敗れて優勝もできず、横綱にもなれませんでした。今回やっと横綱になれましたが、次の3月場所の成績が大変気になっています。稀勢の里の鈍感力に期待して、連続優勝は無理としても、何とか3敗ぐらいまでで止めてくれればと願っています。
私は10年前に鹿島労災病院勤務中に胃癌で胃の4分の3を切除する手術を受け、以後定期的に1年に1度胃カメラ検査を受けていました。今回昨年11月の定期検査で胃癌の再発が認められ、12月6日に再発胃癌に対し胃カメラでの粘膜切除を受けました。私は慢性の腰痛があるのですが、それに対する痛み止めの服用は2ヶ月間許可が出ませんでした。その間に1月場所があり、ほぼ毎日両国に通っていて砂かぶり席に1日3~4時間座っており、持病の腰痛が大変辛くなり、腰仙ベルトと温熱シップでは大変つらいものがありました。粘膜切除の後、食事制限もあり、12月、1月とかなり無理も重なり、一時は体重が2Kgぐらい減ってしまいました。今は痛み止めを必要に応じて服用していますし、最近2週間ぐらいはやっと体が少しずつ楽になってきてゴルフもかなり回復しました。私は1月場所で横審10年、最後の2年間委員長が任期満期終了です。稀勢の里に引退の花道を飾っていただき、明治神宮手数入り、その後の直会も楽しませて頂きました。感謝感激でした。白鵬、日馬富士、鶴竜の時も出席しましたが今回が1番感動的でした。
稀勢の里がこんなに綱が似合う横綱になるとは思ってもいませんでしたし、こんなに立派な土俵入りが出来るとも思っていませんでした。元々、横綱・大関には大変強い大関で、白鵬の63連勝を止めたのも稀勢の里ですが、平幕力士にあっさり負けてしまう悪い癖があり、最終的には優勝出来ず横綱になれない時期が続きました。それでもあきらめずに大関を張り続けたのは並大抵な感覚の持ち主ではなく、かなりの鈍感力を持っているように思います。今後はその鈍感力を生かして最低でもあと10回は優勝してほしいと願っています。
名誉教授の独り言 (167) 横綱稀勢の里(2)
更新日 平成29年2月9日
稀勢の里が横綱になってくれて、まもなく3週間になります。稀勢の里はここで勝ってほしいという時に負け続けました。日本人は判官びいきの人が多いのですか?と元横審、人間国宝の歌舞伎役者澤村田之助さんに聞いたことがあります。田之助さんは歌舞伎には「義経もの」をはじめとする判官びいきの演題が沢山あります、との答えでした。稀勢の里は正に多くの日本人にとって勝って欲しいのに勝たなかった、勝てなかった、という対象だったのではないかと思います。去年9月の稽古総見では日馬富士に徹底的に可愛がられ、私は相撲記者に10戦全敗、あんな負け方では本場所でも絶対に勝てません、と言ってしまいました。結果は10勝5敗でした。九州も12勝3敗でした。苦節何年だったでしょうか。今場所やっと優勝したのですから大人気になるのは当たり前です。この後は稀勢の里が横綱に相応しい活躍をしてくれることを願うばかりです。
私は横審を満期終了になりましたので、これからの日本大相撲はどうあるべきかとかの意見を言う立場にはありませんが、一寸だけ言わせてもらいます。現在、大相撲は絶大な人気です。稀勢の里の横綱昇進のお陰だとは思いますが、私にはそれ以上は判りません。でも、私はある幹部理事に敢えて言いました。「世相というのは突然激変します。人気が上がるのは急ですが、下がるときも急です。数年前のガラガラの国技館を見た者の一人として今のうちに手を打っておくべきではないかと思っています」と。でも、相撲界はなかなか変えづらい体質のようですし、変えたがらない世界のようです。
今の相撲界は色々な問題を抱えているように思います。例えば中学卒業で何処かの部屋に入門したとして、その子は部屋の掃除、洗濯、食事作り、雑用をしながら稽古をするといっても、月給は0円です。こんな社会は他にはありません。将来、横綱になれば物凄いお金が入ってくるようですが、その確率は1000分の1ぐらい、あるいはもっと低いのではないでしょうか。引退してちゃんこ屋をやる元お相撲さんは多いようですが、どんなに美味しいちゃんこでもそんなに頻繁には通わないので、両国かその近く、あるいは余程特徴のあるお店でもない限り、長続きしないようです。現在、日本相撲協会の運営は全て相撲経験者で行われています。だからダメだとは言いません。でも、私はマネージメント専門の方が運営に携わったら、もっともっと利益が上がり力士が幸せになる組織になるのではないかと思っています。東京場所に10日以上行っている身としては、あの座る所を改善してくれたらと思っています。砂かぶりは座布団一枚です。あそこに3時間以上座っていると辛いものがあります。もっと遅く行けば良いのかも知れませんが、つい貧乏人根性で早く行ってしまいます。それに幕下上位の相撲は月給取りになれるかどうかなので、皆真剣勝負で見ていて楽しいのです。桟敷席であの狭いところに4人座るのも大変です。相撲によく似ているといわれている歌舞伎でも現在は椅子席です。などなど改善してほしい点は色々あります。
それはそれとして今心から望んでいるというか祈っているのは、稀勢の里が3月場所で、そこそこの成績を上げてくれることです。せめて3敗以内に収めてくれることを祈っています。稀勢の里が今後、今回の事を自信に変えて大活躍してくれると意見と、綱の重責を感じて以前の稀勢の里に戻ってしまうという意見があります。私は前者であってほしいと願っています。稀勢の里頑張れ!頑張れ!
私は横審を満期終了になりましたので、これからの日本大相撲はどうあるべきかとかの意見を言う立場にはありませんが、一寸だけ言わせてもらいます。現在、大相撲は絶大な人気です。稀勢の里の横綱昇進のお陰だとは思いますが、私にはそれ以上は判りません。でも、私はある幹部理事に敢えて言いました。「世相というのは突然激変します。人気が上がるのは急ですが、下がるときも急です。数年前のガラガラの国技館を見た者の一人として今のうちに手を打っておくべきではないかと思っています」と。でも、相撲界はなかなか変えづらい体質のようですし、変えたがらない世界のようです。
今の相撲界は色々な問題を抱えているように思います。例えば中学卒業で何処かの部屋に入門したとして、その子は部屋の掃除、洗濯、食事作り、雑用をしながら稽古をするといっても、月給は0円です。こんな社会は他にはありません。将来、横綱になれば物凄いお金が入ってくるようですが、その確率は1000分の1ぐらい、あるいはもっと低いのではないでしょうか。引退してちゃんこ屋をやる元お相撲さんは多いようですが、どんなに美味しいちゃんこでもそんなに頻繁には通わないので、両国かその近く、あるいは余程特徴のあるお店でもない限り、長続きしないようです。現在、日本相撲協会の運営は全て相撲経験者で行われています。だからダメだとは言いません。でも、私はマネージメント専門の方が運営に携わったら、もっともっと利益が上がり力士が幸せになる組織になるのではないかと思っています。東京場所に10日以上行っている身としては、あの座る所を改善してくれたらと思っています。砂かぶりは座布団一枚です。あそこに3時間以上座っていると辛いものがあります。もっと遅く行けば良いのかも知れませんが、つい貧乏人根性で早く行ってしまいます。それに幕下上位の相撲は月給取りになれるかどうかなので、皆真剣勝負で見ていて楽しいのです。桟敷席であの狭いところに4人座るのも大変です。相撲によく似ているといわれている歌舞伎でも現在は椅子席です。などなど改善してほしい点は色々あります。
それはそれとして今心から望んでいるというか祈っているのは、稀勢の里が3月場所で、そこそこの成績を上げてくれることです。せめて3敗以内に収めてくれることを祈っています。稀勢の里が今後、今回の事を自信に変えて大活躍してくれると意見と、綱の重責を感じて以前の稀勢の里に戻ってしまうという意見があります。私は前者であってほしいと願っています。稀勢の里頑張れ!頑張れ!
名誉教授の独り言 (166) 横綱稀勢の里誕生
更新日 平成29年1月30日
27日の明治神宮での稀勢の里横綱推挙式、その後の直会(なおらい)で私の横綱審議委員としての役目は全て終了しました。あっという間の横審10年間でした。色々とご心配を頂き、応援してくださった方々に心より御礼申し上げます。10年間相撲を十分に堪能させていただきました。2年前に当時の委員長であった内山氏から「一番暇そうな守屋さんに次の委員長をやってもらいたい」と指名されてからは全力で任務に当たったつもりです。特に最近は砂かぶり席に座っているのが腰痛で辛くなりましたが、何とか1月場所終了まで務めることが出来ました。今場所は11日間通いました。年末の稽古総見、場所後の横審、稀勢の里での一連の行事と合わせると14日通ったことになります。
そもそも横審就任の話は2006年6月頃に澤村田之助丈から頂きました。ついては、その前に北の湖理事長(故人)にお会いして、という話になり、7月の名古屋場所に行くことになりました。朝、田之助丈と東京駅の新幹線で待ち合わせる事としましたが、田之助丈がその新幹線に乗り遅れてしまい、不安の気持ちで名古屋に向いました。その後、その年の12月まで全く話が無かったので、この話は終わったのかと思っていましたが、12月の医局会の時に突然電話連絡があり、2007年から横審委員になれることになり、天にも昇るような気分でした。それから10年間楽しかったです。最後の場所で稀勢の里が頑張ってくれて素晴らしい花道を飾ってくれました。
それにしても今場所の稀勢の里は以前とは全く別人の大活躍でした。先場所までここで勝ってほしいと願うと必ずと言ってよいほど期待を裏切り続けて来ました。特に昨年9月の稽古総見では日馬富士に徹底的にかわいがられ10番完敗で、誰が4ヵ月後にこんなに素晴らしい相撲を取ると想像したでしょうか。今場所は琴奨菊には負けましたが、その他は大活躍で、白鵬にも勝ちましたし、ただ驚くのみでした。今場所は控えにいて変なニタニタ笑い(?)も無かったですし、目をパチクリするのもほとんど無く大変落ち着いていました。何が稀勢の里をこんなに変えたのでしょうか。ご本人が何も言わないので私にも判りません。
昨年は年間最多勝であり、今場所の素晴らしい相撲、14勝1敗では横綱に推挙するしかありませんでした。確かに日馬富士、鶴竜の2横綱と大関豪栄道が休場してしまいましたが、それは稀勢の里のせいではないので、それで評価を下げることは出来ないと思っていました。23日の横審が短時間で終わったとネットで批判されましたが、それより以前に多くの委員と電話や直接会って色々と意見を交わしました。その結果委員会では10分か15分で私の意見を述べるのは終わりましたが、その後も何人かの委員から色々な意見が出されました。総合して稀勢の里を横綱に推薦するということになりました。
27日に明治神宮での横綱推挙式、続いての奉納土俵入りでした。実に堂々として惚れ惚れするような土俵入りでした。私は横綱推挙式、その後の奉納土俵入りは4回目の経験でしたが、今回が最高でした。稀勢の里が土俵を休んだのは入門してから1日だけだと聞きました。しかも体は頑丈でどこも怪我していません。後は今後、稀勢の里が素晴らしい成績を残してくれることだけが願いです。
そもそも横審就任の話は2006年6月頃に澤村田之助丈から頂きました。ついては、その前に北の湖理事長(故人)にお会いして、という話になり、7月の名古屋場所に行くことになりました。朝、田之助丈と東京駅の新幹線で待ち合わせる事としましたが、田之助丈がその新幹線に乗り遅れてしまい、不安の気持ちで名古屋に向いました。その後、その年の12月まで全く話が無かったので、この話は終わったのかと思っていましたが、12月の医局会の時に突然電話連絡があり、2007年から横審委員になれることになり、天にも昇るような気分でした。それから10年間楽しかったです。最後の場所で稀勢の里が頑張ってくれて素晴らしい花道を飾ってくれました。
それにしても今場所の稀勢の里は以前とは全く別人の大活躍でした。先場所までここで勝ってほしいと願うと必ずと言ってよいほど期待を裏切り続けて来ました。特に昨年9月の稽古総見では日馬富士に徹底的にかわいがられ10番完敗で、誰が4ヵ月後にこんなに素晴らしい相撲を取ると想像したでしょうか。今場所は琴奨菊には負けましたが、その他は大活躍で、白鵬にも勝ちましたし、ただ驚くのみでした。今場所は控えにいて変なニタニタ笑い(?)も無かったですし、目をパチクリするのもほとんど無く大変落ち着いていました。何が稀勢の里をこんなに変えたのでしょうか。ご本人が何も言わないので私にも判りません。
昨年は年間最多勝であり、今場所の素晴らしい相撲、14勝1敗では横綱に推挙するしかありませんでした。確かに日馬富士、鶴竜の2横綱と大関豪栄道が休場してしまいましたが、それは稀勢の里のせいではないので、それで評価を下げることは出来ないと思っていました。23日の横審が短時間で終わったとネットで批判されましたが、それより以前に多くの委員と電話や直接会って色々と意見を交わしました。その結果委員会では10分か15分で私の意見を述べるのは終わりましたが、その後も何人かの委員から色々な意見が出されました。総合して稀勢の里を横綱に推薦するということになりました。
27日に明治神宮での横綱推挙式、続いての奉納土俵入りでした。実に堂々として惚れ惚れするような土俵入りでした。私は横綱推挙式、その後の奉納土俵入りは4回目の経験でしたが、今回が最高でした。稀勢の里が土俵を休んだのは入門してから1日だけだと聞きました。しかも体は頑丈でどこも怪我していません。後は今後、稀勢の里が素晴らしい成績を残してくれることだけが願いです。