AFC (Asia Football Confederation) Distinguished Service Award Goldを受賞して

更新日 2019.9.18

千葉メディカルセンター
森川 嗣夫

 今年の3月6日~9日に第6回AFC Medical Conference 2019が中国の成都市で開催され、その期間中に第2回AFC Medical Awardの授与式があり、その席でAFC Distinguished Service Award (Gold)をいただきました。

 AFC Medical Awardは、アジアのサッカーの発展に貢献をしたドクターに与えられる賞で、AFC Football Medicine Merit Award、 AFC Young Medical Officer Award、AFC Distinguished Service Awards (Gold、Silver、Bronze)の3つの賞があります。第1回は2015年に授賞式がありました。今回は第2回目で、聖マリアンナ医科大学の青木治人先生がAFC Football Merit Award、早稲田大学の福林徹先生、筑波大学の宮川俊平先生と私がAFC Distinguished Service Award (Gold)を受賞しました。これもご指導、御鞭撻をいただいた同門の先生方、多くの関係者の皆様のお力の賜物であり、心から感謝申し上げます。

 私は1981年に千葉大学を卒業し、整形外科教室に入局しました。最初にチームに帯同したのはその年にU-16日本代表チームのドクターとして、シンガポールで開催されたLion City Cupという大会でした。この時は鍋島先生からお話をいただき、その当時の教授の井上先生からお許しが出て帯同させていただきました。今の時代では考えられないことですが、今でいう初期研修医の1年目で、訳も分からない状態で行ったのを覚えております。

 その後スポットで何度か帯同し、チームを継続的に担当して見るようになったのは1995年、1997年に出場したワールドユース大会(現U-20ワールドカップ)に参加したチームからです。1995年のチームには中田英寿、松田直樹、1997年のチームには中村俊輔、宮本恒靖などその後日本代表となる選手がいました。

 日本が最初にワールドカップに出場したのは1998年のフランス大会でした。その次の代表チームの監督にフィリップトルシエが就任し、私がそのチームのドクターになり、4年間代表チームの選手のコンデショニング、健康管理にあたりました。2002年の日韓のワールドカップでは予選リーグを突破し、決勝トーナメントの初戦で敗れベスト16で終わりました。その後ジーコ監督になり、2006年のドイツ大会まで日本代表チームのドクターとして代表チームの仕事をさせていただきました。

 また1987年から現在まで日本サッカー協会の医学委員会のメンバーとして、日本のサッカー関係の医事に関する仕事もさせていただきました。この30数年の間にサッカーを取り巻く環境は大きく変わりました。医学的サポート体制も充実してきていることを実感しておりますが、まだ解決していかなければならない問題は多く残されております。千葉大学整形外科教室の同門の先生方の中にもサッカーに興味を持っている先生が多くいらっしゃいます。その先生方とともに今後もサッカーおよびスポーツに関係する医学的な分野の発展に貢献できればと考えております。

  • 右より宮川俊平先生、福林徹先生、小生