名誉教授の独り言(224)老老医療
更新日 令和3年2月1日
私は今年5月の誕生日を迎えると80歳になります。大学で定年を迎えた時は、まさか80歳まで働くとは思っていませんでした。現在は週1日ですが、まだ医者をやっていますし、毎回20名近くの患者さんを診て、薬を処方したり関節注射などをしています。現在、私が診療をしている病院はかなり田舎にあり患者さんの多くが高齢者です。平均すると80歳前後になると思いますが中には相撲の話を聞きたくて来る患者さんもいます。まさに高齢の医者が高齢の患者さんを診ているという現状で、老老医療と言っても良いかもしれません。
病気構成も高齢化社会になって少しずつ変わってきました。私が盛んにメスを振るっていたころの腰痛患者さんには椎間板ヘルニアが多かったのですが今は圧倒的に脊柱管狭窄症が多いです。膝の腫れて痛い患者さんの主な原因は昔は主に変形性関節症でしたが現在は高齢化による軟骨変性の結果、関節内にピロリン酸カルシュ—ムが析出し沈着する儀痛風が徐々に増えています。これも高齢化社会が故です。
数日前に老妻が誕生日を迎えました。もうお祝いをする年でもないのですが、どこかへ食事に行こうかと誘ったのですが、現在の状況では行かない方が良いのでは、との答えで結局近くの美味しいケーキを売っているというケーキ屋さんでイチゴのショートケーキを2個買ってきて「お誕生日おめでとう」と言って終わりました。この話は病院の看護師さんには「素敵ー」と褒められました。そうかなー?
先日は2ヵ月ぶりにゴルフに行ってきました。出だしがパー、次がボギー、その次がパーだったので、どうなるかウキウキしていましたが、終わり3ホールがダボ、ダボ、トリプルで結局49でした。後半は疲れてしまい57でした。マーマーでしょう。今年も元気に頑張ります。
名誉教授の独り言(223)令和3年1月場所雑感
更新日 令和3年1月26日
24日で1月場所がやっと終わりました。私の年齢になりますと両国に通うのが辛くなってきますので、やっとという感じです。特に今場所は開催するかどうか中々はっきりしなかったのでチケットを他の人に回すのもやっと2枚だけで、残り13枚は自分で使いましたので疲れました。連日寒くて寒くて・・・。国技館は毎日ガラガラで盛り上がりにも欠けたような感じでした。でも私自身、今場所が13勝2敗で終わり、今日の朝起きた時に何となく充実感があり、心地よく感じました。
今場所は大栄翔を始め多くの力士の活躍でそれなりに盛り上がりました。大栄翔の突き押しは見事なものでした。来場所が楽しみです。俗称バランスボールの幕尻明瀬山の9勝6敗も立派でした。長く幕下で取っていた時には想像できない姿でした。小兵翠富士の肩透かしは絶妙のタイミングで拍手喝采でした。でも、全体としては何となく不満な場所でした。これは白鵬、鶴竜の2横綱を始め多くの関取が新型コロナウイリス感染などで休場してしまったことが原因です。そのうえ頼みの大関が全くダメだったのもがっかりしました。綱取りと言って臨んだ貴景勝が出だしから4連敗、その後白星を2つ取りましたが10日目までで7敗となってしまい休場しました。正代、朝乃山は結果として11勝4敗で大関としての役割は果たせませんでした。休場者は幕内6名、十両9名でした。結果として組み合わせが出来ず、時間合わせのため仕切り直しが何時もより長く、間延びした感じでした。
そんなだらけた国技館の中で一際輝いていたのが向正面溜席一列目一番東寄りの席にいた若い女性でした。ファンの間では「溜席のマドンナ」というあだ名で呼ばれていたようですが毎日素晴らしいお召し物とそのお洋服に会っているバッグを持参しており、背筋をしゃんと伸ばして座っており、その姿勢を崩すこと無く凛として観戦していました。何とか部屋の有力後援者の身内の人だとか、有名では無いスー女の女優さんだとかいろいろと噂されていましたが、素性は今場所でははっきりはしませんでした。この話は5月場所まで持ち越しです。
本来なら場所終了の翌日夕方5時半から行われる横綱審議委員会は無期延期になったようで、白鵬、鶴竜に対してどのような対応をするか今根回しに忙しいのではないかと思います。2人の横綱を辞めさせてしまうと直ぐに横綱になるような大関もいないし相撲協会も困っていることでしょう。
大関審議委員会でも作ったらどうでしょうか。
名誉教授の独り言(222)新年のご挨拶
更新日 令和3年1月3日
今年も多くの方から年賀状を頂きましたが、昨年からのコロナ禍に関する記述が最も多く、私の年齢が今年80歳になることもあり、賀状を出すのは今年でおしまいにしますとか、医者を辞めました、あるいは辞める予定です、などの記述も多くみられました。私も同感ですが、年と共に正月の朝に賀状の来るのが待ち遠しくなるのを実感しており、面倒ですが書けるうちは書くつもりです。医者については小学生の時から努力してやっとなれた職業ですし、千葉大学医学部に合格した時は泣いて喜んだのをよく覚えていますので患者さんに頼りにされているうちは続けようと思っています。体力は十分に残っていますのでしばらくは出来ると思いますが、現状でも時に薬の名前が出て来なかったりするので何時までつづけられるか判りません。
スポーツクラブですがコロナ騒ぎが始まってから機械を使った訓練は止めて湿度70%ぐらいのプールでの歩行や少しの泳ぎ、その後のお風呂だけにしていましたが、昨年までの週2~3回だったのを週3~4回にしようと思っています。
ゴルフもずいぶん下手になり、楽しみよりストレスになってきてしまいましたが、お誘い頂ける限り続けるつもりです。
まだ老け込むには早いと思うし、老け込もうとするとどんどん老化現象が進むように思います。新年を迎えもう一度考え直し、若々しく生きて行こうと考えています。
名誉教授の独り言(221)年末のご挨拶
更新日 令和2年12月27日
寒い日が続いていますが、皆様は如何お過ごしですか。令和2年はコロナに振り回された年でした。1月に変なニュースがあり2月から新型コロナ感染だと言われ、それからは一喜一憂しながら奈落の底に落ちていきました。マスクを付けることは現在は常識になっていますが、今年の2月頃迄はマスクを付けても感染を予防出来ないし移す効果も無いというのが医学的常識だったと思います。冬になって寒い日が続き、炬燵を出さずに我慢していたのですが、ついに寒さに耐えきれず、出すことになりました。炬燵は良いものです。ホッとして炬燵で昼寝をしたりしています。
あと5ヶ月で80歳になります。まだ週1日大先輩の病院で非常勤医をして手伝っています。とは言っても、もう2年半前にスポーツクラブの車庫でアクセルとブレーキを踏み違え壁に激突して車をダメにしてから、車を手放し運転を辞めており、このところのコロナ騒ぎの中ではバスやJRでは病院に行けないと事務長に言いましたら2月からは病院車で送り迎えしてくれて何とか行っております。午前中いっぱい患者さんを診察すると疲れ切ってしまい、そろそろ辞め頃かと思っています。
12月になり恩師井上教授の奥様の具合が悪いとご子息からご連絡を頂き、案じていましたが中頃に御逝去されました。その数日後には元同門会長の富田先生の奥様が御逝去され、お二方には生前色々とお世話になりましたので、今は大変寂しい思いをしています。
昨年から今年にかけてあちこち怪我をしてしまい、その影響でゴルフが全くダメになってしまい100を切れなくなってしまいました。前回ラウンドした時は北風が寒くスコアーも57,59と悪く、悲しくなってしまい、こちらもそろそろ辞め頃かと思っています。
先日散歩中に初夏のころまで楽しませてもらったキジ君に貸農園脇の空き地で会いました。それ以後は毎日ぐらいに同じところに行っていますが会いません。来年春までお預けのように思います。
皆様方に於かれましては佳き新年をお迎えくださるように祈念申し上げます。
名誉教授の独り言(220)令和2年11月場所
更新日 令和2年11月24日
令和2年11月場所は福岡ではなく両国で開催されました。地方場所となると力士を含め総勢1000人ぐらいの移動があるようで新型コロナを東京から持ち込まないようにするためこのようなことになったようです。
場所が始まる前から白鵬、鶴竜の2横綱の休場が発表されましたが,それはしょっちゅうなのであまり寂しく感じませんでした。ただ、期待の大関朝ノ山が4日目からもう一人期待の大関正代が6日目から休場となってしまい、その他にも何人か休場力士がいて、非常に寂しく、全く面白くない場所となってしまいました。病気や怪我で休むのは仕方が無いことですが、ただこのように横綱、大関などが多数休場してしまうのは稽古不足が根底にあるように思います。そのような中、小結に戻った照ノ富士と幕尻の志摩ノ海が頑張ったのはせめてもの救いでした。志摩ノ海はあまりに勝ち進んだので13日目に出場力士の1番上の貴景勝に当てられ、14日目は照ノ富士に当てられ見事に粉砕されてしまいました。相撲には番付けがあり、番付けは日本相撲協会がそれなりの責任の重さを持っているので、ただ勝っているからということで番付けの1番下の力士を1番上の力士に当てるのは可哀そうに思いました。
日本相撲協会は何としても貴景勝に優勝させたい、そして来年1月場所を貴景勝の綱取場所として人気を取ろうと考えているのかと邪推してしまいます。千秋楽に本割で照ノ富士が貴景勝を破り、優勝決定戦で貴景勝が照ノ富士を破った2番は今場所の面白くないと思っていた鬱憤を晴らす取り組みでした。
場所後の横審では世論に押された形で2人の横綱に対して「来場所は覚悟を決めて出場するように」との注意が下されたようです。どうなりますか。現在の横審は委員が8名です。私が委員の頃は定員が15名で常時12名ぐらい委員がいました、委員会にはほぼ全員が出席していましたが、最近は出席率が悪く、今回も8名中6名だけが出席だそうです。日本相撲協会としてしっかりした諮問機関を作りたいのなら委員を定員に近くまで増やし多くの意見を募るべきです。委員の指名は理事長の選任事項になっているので理事長には是非とも頑張ってほしいと思っています。
ところで、今場所向う正面の東寄りの前の方の席に姿勢の良い美女が毎日来ておられました。終始しゃきっとした素晴らしい姿勢で観戦されておられ、余りにも目立ったので、どうゆう素性の方か気になりました。どなたかお知り合いでしたら教えて下さい。
もう一つ気になったのは元稀勢の里の解説でした。皆様はどうでしたか。
名誉教授の独り言(219) 現況報告
更新日 令和2年11月3日
左足関節内果骨折と左アキレス腱断裂をして1年経ちました。大学病院に入院した時に主治医の山口先生から手術にするか、ギプス固定にするか尋ねられました。78歳(当時)だし、組織の再生能が悪くなっているだろうと思い手術を希望しました。術後のギプスは翌朝にモナカにして貰い、何とか拘束感をしのぐことが出来ました。術後は大したトラブルも無く4ヶ月で骨折部もアキレス腱も全治し今年3月にはゴルフにも復帰しました。そのまま復調したいと思っていたのですが4月に夜中トイレに行くために起きた時バランスを失いひだり手をついて転んでしまい左手関節骨折をしてしまいました。幸いに変位がほとんどなくギプスで治療してもらいました。全治まで5か月を要しました。
2回の骨折を経験し学んだことは年寄りは関節可動域の回復に若い時より長い期間が要すること、術後療養している間に筋力が著しく落ちることなどでした。特に左上肢の筋力低下はゴルフに際して右手優位でクラブを振るのでボールがフックしてしまいがちである、実際にゴルフ場に行かないのでパットが大変下手になる、などでした。先週のラウンドでは4ホールまでにOB2回、3パット1回、4パット1回で前半のハーフが59回でした。
80歳近くの老人が1年近くゴルフをしないで復帰すると、なかなかハーフ50を切ることが出来ませんがを、マーこんなものでしょう。もうゴルフを辞めようかとも思ったのですが、他にすることもないので続けることにしました。
骨折騒ぎは取り敢えず収まったのですが、ここ数年は腰部脊柱管狭窄症による腰痛と両下肢のしびれと痛みで苦しんでいます。そろそろ手術を受けた方が良いかと10日ほど前には考えていたのですが試しにプロスタグランジンE1(オパルモン)を服用してみたら、どうも効いているようで腰痛が軽減し間欠性跛行も消失しています。このまま軽快してくれたらば万々歳です。先週は新袖で45,52で回りましたし、少し真面目に練習すればゴルフ復活となるのかな、と思ったりしています。
名誉教授の独り言(218) 老医の嘆き
更新日 令和2年10月16日
私は来年5月の誕生日を迎えると80歳です。私にとって80歳というのは雲の上の数字です。まだ週1でお医者さんをやっています。病院にはやらされていると言っていますが本当は、やれてうれしいです。だって医学部の入学試験で1浪の後に千葉大学医学部に合格した時には千葉の親戚の家に行き嬉しさのあまり大泣きしたことを今でも良く覚えています。
80歳になろうとしている老人が週に1回とはいえ千葉から富津までお医者さんをする為に行っているのは中々大変です。コロナ騒ぎのせいで病院の事務の方に送り迎えしていただいていますが、申し訳なく思っています。お昼頃までに15人から20人を診察したリ注射をしたり体操を教えたりしています。年のせいで大変疲れやすくなり、帰りはへとへとです。もう少し若かった時はこんなに疲れやすくなるとは想像できませんでした。この仕事を何時まで続けられるか判りません。いつ辞めても良いのですが、こんな年寄り医者を頼りにしてくれている患者さんもいるので続けられるだけ続けようと思っています。でも年のせいで薬の名前が時々出てきません。そういう時は看護師さんに聞くと的確に答えてくれます。私はその薬を処方します.さらに私はお返しに何か医学小講義をしてやります。それでお相子です。
それにしても記憶力は大変低下しました。薬の名前を始めとして人の名前などはなかなか出てこないことがあります。そういう時はニコッと笑って誤魔化します。でも、内心は「頭悪くなったなー」と嘆いています。
名誉教授の独り言(217)令和2年9月場所
更新日 令和2年10月3日
私の左手関節骨折も大分良くなってきました。私は暢気にしていましたが、今場所はコロナ禍で力士にとっては大変だったと思います。力士は出稽古に出られず、部屋で四股、テッポウ、スリアシだけでは十分に本場所に臨める体調は整わないのではないでしょうか。結果として力士70名(全体の10%)がいろいろな理由で休場、この中にコロナ関連の力士もいました。十両以上でも13名が休場でした。コロナで2部屋が完全封鎖され休場となってしまいました。相撲観戦の楽しみの一つは横綱土俵入りですが、これも両横綱休場でありませんでした。前半は下半身の筋力が充実していないせいかはたき込みで負ける力士が目立ったものの、はたきこみで決まった勝負はそれほど多くはありませんでした。幕内の取り組みが普段なら前半10組、後半10組あるのですが、今場所の千秋楽は前半9組、後半8組で、呼び出しさんは土俵を掃いて時間稼ぎをしていました。
白鵬、鶴竜の2横綱の休場で、今場所の期待は朝乃山の優勝にかかっていました。ところが重責に負けたのか朝乃山は出だし3連敗してしまいました。その後に頑張って3敗のまま後半まで来ましたが、14日に正代に胸をどつかれて哀れな負け方をしてしまい4敗となり優勝戦線からは脱落していきました。徐々に優勝候補力士が減っていき千秋楽では翔猿と正代の決戦になりました。遅咲きの翔猿ですが1,2度正代を倒しそうになり拍手・喝采でした。結局、正代の優勝と大関昇進でめでたしめでたし、でした。でも、全体としてレベルの低い場所だったなー、というのが印象です。
名誉教授の独り言(216) ゴルフ再開
更新日 令和2年9月15日
左足関節内果骨折もアキレス腱断裂も左手関節骨折も完治しました。主治医の先生方からももうゴルフに復帰して良いとの許可も出ています。とは言っても2年前にアクセルとブレーキを踏み違えて壁に激突してからは車の運転は辞めにしており、車が無いとゴルフに行くのは大変不便です。
幸いにしてゴルフ場でもスポーツクラブでも一緒の友人から「夫婦で予約を入れているが良かったらご一緒しないか」、とのお誘いをラウンドの3日前に頂き喜んで行く事にしました。
ゴルフ場に着いてまず練習場に行きました。アイアンはダフリばっかりでどうしようもありませんでした。ウッドはどこに行くか判らないほど乱れていました。最後にパターを練習しましたが方向だけはマーマーでした。
結果としては前半が50、後半が54でした。途中シャワーのような雨降りがありましたが、それはそれで涼しくなり気持ち良かったです。大変楽しく18ホールを回ることができ大満足の1日でした。後数か月で80歳になる老人が半年休んでいたゴルフですが、やはり辞めると決めなくて良かったと思いました。2,3明らかに練習不足で失敗した点があり、少し頑張ろうかと思いました。
その4日後にまたお誘い頂きましたので、今回は片方でも40台を出したいと思い頑張りましたが、51,50でした。終わってから以前のパターの打ち方を思い出し、帰宅してから以前のフォームで練習してみました。次回はうまくいきそうな気がします。乞うご期待です。
9月場所も始まり両国へも行かなければならず、何かと多忙です。でも、80歳近い老人が毎日忙しく過ごせるというのは大変幸せな事です。色々と頑張ってみます。
名誉教授の独り言(215) 現状報告
更新日 令和2年6月24日
ロナ禍騒ぎもなかなか収まりませんが、皆様お元気でしょうか。一応日本でのコロナ騒ぎは収まりつつあり、外国特派員らから麻生副総理・財務相への質問に対し「民度が違うから」と答えたようで「麻生さんらしいな」、と思いました。毎朝、ラジオ体操をするために歩いて10分ぐらいのところにある公園に行っています。どうせ行き来するのでレジ袋とトングを持ってごみを拾いながら往復しています。タバコの吸い殻やペットボトルや空き缶が多いのですが、コロナ自粛中と比べ自粛解除になってからはマスクの量が増えています。最近は毎日3~4枚あります。もう何日か使ったマスクを捨ててしまったのでしょうか。
近くの空き地にいる雉さん(健太と名付けました)はそのあたり一帯の雑草を持ち主が刈ってしまったので2日ぐらい不在でしたが、その後に戻ってきてくれました。何となくホッとしました。
私自身は左手関節のギプスが取れてから2週間ぐらい経ちますが、まだ運動痛があります。でも手関節の痛みで7か月前に受傷した左足関節の痛みは無くなってしまいました。このようにしてやがて左手関節の痛みも徐々に消えていくのではないかと思っています。そろそろゴルフに復帰かなーと思っています。
アベノマスクも給付金の10万円も来ましたので、パソコンを買おうと思っています。最近手持ちのパソコンの具合が悪く送信も受信も出来たり出来なかったりで多くの方のご迷惑をお掛けしており、申し訳ないと思っています。自宅近くに「中古パソコン屋」というお店があり、大変良くしてもらっているのですが、そこで新しいパソコンを買いたいので相談に乗ってほしいとお願いしたのですが、「うちは中古パソコン屋です。新品は売りません」、とごねられて困っています。その言葉を信じるようにパソコンが機嫌よく動いています。週に1日三枝病院に行っていてコロナを見ていませんがご褒美に5万円くれるそうです。家内の分も含めて25万ありますがどうしようか、迷っています。
右足関節を痛めて10ヵ月になります。8月末に山口先生に診てもらったときに、私の方から「もうおしまいにしましょう。ありがとうございました。」と言ってきました。また、今日は手関節の事で六角先生診てもらい、こちらも終わりを認められました。夕方、新垣さんからゴルフのお誘いがあり、行きますと返事をしてしまい急にバタバタしてきました。明日は練習場に行こうかな・・・。
名誉教授の独り言(214) 大相撲大関朝乃山誕生
更新日 令和2年5月19日
先日、幾つかの部屋から5月場所の番付表が送られてきました。世の中はコロナ騒ぎで5月場所は開催中止となってしまいました。大変残念です。大関朝乃山の誕生なのに彼の土俵が見られないのです。朝乃山は幕の内力士になってから、協会の都合もあるでしょうけど、あっという間に大関になってしまいました。去年、トランプ大統領が来日した時に私は砂被りの1番前の席で見ていましたが、朝乃山がトランプ杯を貰ったのを昨日の事のように覚えています。記者席から伝わったジョークとしては「なんで負けた相撲レスラーに優勝杯を渡さなければならないのか」と言ったとか・・・。安倍さん夫妻は隣でつまらなそうにしていました。
久しぶりの日本人横綱を狙える日本人大関の誕生です。非常に真面目そうで、相撲も右四つ、左上手を取る型を持った力士です。学生時代から1度も飛んだり跳ねたりの相撲を取ったことが無いと、どこかのインタビューで答えていました。見ていて気持ちの良い相撲です。当然、1日も早い横綱を願っています。そして横綱大鵬のようなお相撲さんになってくれればと願っています。大鵬さんは相撲も強かったですが、個人的にお話をしたことがありますが、人間としても素晴らしい方で心から尊敬していました。
左手関節骨折も大分良くなり、昨日からギプスを外して入浴しています。そうです、4月20日の夜中にトイレに行こうとしてベッドサイドで転んで左手関節を骨折してしまったのです。骨折の仕方が上手で変形も殆んどなく衣笠選手ならギブスなしで野球を続けていたのではないかという程度です。暫く家内に背中を洗ってもらっていましたが、自分で洗えるようになり最高です。次回の診察でギプスが取れるのではないかと期待しています。
昨年11月に自宅の階段を踏み外し転落し、左足関節内果骨折とアキレス腱断裂、それらがやっと直ってきたら今度のケガです。この3~4年間半年に1回ぐらいどこかを怪我しており、この間、家内に多大な迷惑を掛けてしまい大変申し訳なく思っています。これからは気を付けるつもりです。
最近は家の近くの貸農園の脇にある空き地へ毎日、雉に会いに行くのが日課になっています。ケーン、ケーンと泣きながら羽根をばたばたする(母衣打ち(ほろうち)と言うそうです)のを見ていると「雉も泣かずば撃たれまい」という言葉も納得いきます。それにしてもオス雉は大変美しい姿をしています。こんなに美しい鳥が良く今まで絶滅せずに残っていたものだと感心しています。昨日、貸農園で作業をしている人に「きれいな鳥ですね」と言いましたら、「作っているイチゴを食べられてしまうんです」とぼやいていましたが「雉にエサをやっていると思えば良いのでは?」といったのですが、「でも・・・」と言っていました。6月ごろまでは残ってくれるようですので、いなくなる前に手関節も全快させたいと思っています。
名誉教授の独り言(213) 大相撲春場所
更新日 令和2年3月23日
大相撲3月場所が新型コロナウイルス感染症騒ぎの中、歴代初めての無観客場所を開催しました。始めは気の抜けたビールを飲んでいるようで味気ないものでした。昔から「美人は3日で飽きるがブスは3日で慣れる」、とか言われていますがお相撲さんもTV桟敷のファンも3日目ぐらいから慣れてきたようです。私も毎日、後半戦は見ました。そうです。慣れてしまったのです。日本相撲協会は新型コロナウイルス感染者が出たらすぐに場所を中止にすると発表していました。そのような中、千代丸が2日続けて高熱が出たということでウイルス検査を受けたという報道があり、結果はどうなったか検査翌日は何度もネットやTVで結果を検索してしまいました。検査結果は陰性で病名は新型コロナウイルス感染ではなく蜂窩織炎ということで、なんでそんなことが判らなかったのか不思議に思いましたが、念のために検査を受けただけだと後から知りました。マスコミが騒ぎ過ぎというか、針小棒大な報道の結果だったようです。
日本相撲協会の意向を受けてでしょうが、NHKのTV実況放送中に何度も小中学生からの応援メッセージの紹介がありました。確かに今回の相撲実況放送は学校が休校になっている生徒さんや新型コロナウイルスが怖くて外出できない高齢者の時間潰しには大変効果があったように思います。この後、選抜高校野球もプロ野球もプロゴルフも中止になってしまい、どうやって時間を潰したらよいのか困っているのではないかと心配しています。
今場所は朝乃山の活躍があってそれなりの盛り上がりがあったように思います。あれだけ大関昇進を熱望されていたら大変なプレッシャーだったと思います。4敗したとはいえ最後に大関貴景勝を破っての11勝は立派です。久々に横綱を狙える和製大関です。今後の活躍を願っています。今場所はTVで見ていても余り面白くありませんでしたが、初日と千秋楽に全幕内力士が東西に並びあいさつしたのは壮観でした。あれだけはまたやってもらっても良いように思いました。
名誉教授の独り言(212) 春
更新日 令和2年3月10日
今年の冬は暖かいです。猫の額ほどの我が家の庭にも春が来て次々と花が咲いています。水仙が始めだったでしょうか、クリスマスローズ、フキノトウ、福寿草、今はムラサキハナナが咲き始めました。庭に小鳥さんたちのためにエサ台を作ってあります。お釜についたご飯や揚げ物にしたパン粉の残りなどをあげています。雀が主ですが時にはきれいなメジロさんも来てくれます。彼らをムクドリやヒヨドリが追いかけてエサを奪ったりしています。暖かい春でもエサは十分ではないのでしょうか。
私の人生で最も印象深く残っている春は千葉大学医学部の入学式です。医学部構内の連絡道路の両側に満開の桜が咲いており新入生を大歓迎してくれました。あんなにきれいな桜はその後も見たことがありません。現役の時に受験した全ての医学部に不合格になり、暗い1年間の浪人生活を過ごしました。その間に予備校に通い受験の仕方を学びました。千葉大医学部に合格した時は物凄く嬉しかったです。小学校4年生の時からなりたかった医者への道が開かれた事に心から喜びを感じました。当然の事ですが、その頃は将来医学部教授になるなどということは全く考えていませんでした。医学部を卒業し、最後のインターン生として真面目に勉強し、整形外科医となり黙々と勉強・研究をしていたら、それほど優秀でも無いのに、人生の巡りあわせで教授になってしまいました。
この春は新型コロナウイルス感染症で大騒ぎです。相撲の3月場所も無観客での興行となりました。TV中継を見ましたが、昨夜の残った気の抜けたビールを飲んでいるような感じでした。全く面白くありませんでした。相撲って面白くない、と思ってしまうファンもいるのではないでしょうか。こんなことなら3月場所は興行中止のほうが良かったのではないかと思っています。
昨年11月に負傷した左足関節のケガも大分良くなりました。多くの方にご迷惑をお掛けしました。心よりお詫び申し上げます。今月初めにはハーフですがゴルフにも復帰しました。そして怪我をしてから非常勤医として2週に3回勤務している病院には数少ない病院事務の方に送り迎えしてもらいました。時には自宅の玄関から迎え車までおんぶしてもらいました。その送り迎えをしてもらわなくても今週から自宅からバスとJRで病院最寄りの駅まで一人で行けるようになり、なんとなく新生活が始まったような気持ちの昂りを感じています。改めて、新生活を前向きな気持ちで始めたいと思っています。今後とも、どうぞ宜しくお願いします。
そしていよいよ桜です!お花見です!楽しみましょう!
名誉教授の独り言(211) 魔法の杖
更新日 令和2年1月27日
術後11週になります。若い研修医だった頃に縫合した腱が治るのには3ヶ月(12週)くらい掛かると教えられたことがあり、私の縫合してもらったアキレス腱もそろそろ治る頃かと思っています。まだ右手に1本杖を使ってひょこたん、ひょこたんと歩いていますが、自覚的にも日に日に歩き方も改善し、歩いた後の足関節の痛みも軽くなっています。順調に回復していると感じています。
1月場所は初日から両国国技館へ行っていますが、旧知の人達から「大丈夫ですか?」と言われますが「両国リハビリテーションセンターに来ているので、毎日徐々に回復しています」と答えています。実際に、国技館であちこちに行っていると良いリハビリになっているように思います。
肝心の相撲の方は白鵬、鶴竜が前半で姿を消してしまいましたが、若手が頑張って星の潰し会いをしているので、見応えのある取り組みが増えています。このまま白鵬のビンタやヒジ打ち、ダメ押しや鶴竜の無気力相撲を見るより早く引退してくれた方が見ていて不愉快にならないので、どうぞ引退して下さい、という心境です。
数か月前からパソコンの具合が悪く、メールを発信できなかったり、出来たりが続いています。現在のパソコンは2年くらい前に中古パソコン屋から4万円ぐらいで買ったものですが車もパソコンも人間も中古は故障しやすいと感じています。先日TVで「車だってある程度古くなれば買い替えるのでパソコンも同じように考えるべきだ」、と言っていました。以前に入れて貰った「ウイルス退治ソフトや修復ソフト」が見つかったので、それをクリックしたら何かガチャガチャして、その後に多少使いやすそうになりましたが時々メールが送れません。昨年11月に内果骨折とアキレス腱断裂をしてしまったのでメールを受け取れない方は何があったのか心配してくれているようで申し訳なく思っています。結論としては近々パソコンを買い換えるつもりでしたが、なんと直してくれてしまいました。それもタダでです。
杖を突いて電車に乗ると席を譲って下さることが多くて大変助かっています。エスカレーターに乗る列もすぐ割り込ませてくれます。これも大変助かります。先日は満員のグリーン車に乗り、通路に立っていたら座っていた若い男性が飲みかけの缶ビールを持ったまま席を譲ってくれました。一度は遠慮したのですが、「どうぞ」と言って席を立ってしまったので、お言葉に甘えさせていただきました。有難い限りです。我が家ではこの杖を「魔法の杖」と呼んでいます。
歩くのも大分上手になりました。もう杖が無くても歩けます。でも、昨日庭でアプローチの練習をしたら、その後ふくらはぎ(腓腹筋)が攣ってしまいました。2月なったらもう少しゴルフの練習をして、3月頃からラウンド出来たらと思っています。
名誉教授の独り言(210) 正解
更新日 令和1年12月30日
術後7週で大学受診しました。主治医の山口先生がインフルエンザとかで休みであり、若い先生が代診で診てくれました。山口先生から装具は今日まで、と言われていたので、今日で装具も松葉杖も終了と自分で若い代診さんに言い、やっとアキレス腱縫合部の保護のための装具がoffになりました。78歳とは言え、もう術後7週なのでアキレス腱縫合部も十分に付いていると思っています。
今回、大学を受診し直ぐに山口先生からギプスで治療しますか、手術にしますか、と聞かれた時に間髪を入れず「手術して下さい」と答えました。ギプスで治療すると骨折は少しぐらいはズレて癒合し、アキレス腱は少し細い状態で付くか、場合によっては付かないことも在ります。もう78歳ですし組織の再生能力は大変落ちているでしょうから、付かない時はそれで仕方ないですが、出来るだけ良い状態で治ってほしいと思い手術を希望しました。こうして治ってみると手術をお願いしたのは正に正解だったと思っています。
思い出すのは安美錦関です。一昨年の7月場所でアキレス腱断裂をしたのに直ぐに手術を受け9月場所には出場したのです。初日に砂被りに座っていたら安美錦関が最前列の私の前に落っこちてきました。その姿を見て整形外科医としてはこれでアキレス腱手術部周囲の癒着が取れ、明日から相撲が取れやすくなるのではないかと思いました。案の定、7勝8敗だったように記憶しています。ちなみに私のアキレス腱手術部の周囲はまだ癒着しています。そのうちもっと良くなるだろうと思っています。
今回足関節内果骨折のscrew固定とアキレス腱断裂縫合術を受け、術後ギプス固定などを受けましたが、辛かったことは拘束されることでした。手術翌日に目が覚めたら左膝以下がギプス固定されていたことでした。それから山口先生に診てもらうまで、どこに行ったらこのギプスをcutして貰えるかばかり考えていました。朝、山口先生に「このギプスをモナカにして下さい(両脇で縦に切ること)」とお願いしたら、すぐにcutしてくれました。年を取るというのは考え方も含め余裕が無くなるのだと改めて考えさせられました。ギプスをモナカにしてもらってもそれほどゆるゆるになる訳でもないのに精神的に辛くならないようでした。
今回の経験で知った事をもう一つ。人間というのは言われても言われなくてもやれるようになったらやるという事です。骨が付く前には骨折部に体重は掛けないでしょうし、アキレス腱が付く前にはアキレス腱に負荷を掛けることはしないと思いました。今まで色々と患者さんに言ってきましたけど自然の摂理に従う方が良いと思いました。お陰様で、装具を外し、松葉杖なしでもなんとか歩けています。
明日からスポーツクラブに行きます。
3月からゴルフに復帰します。