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名誉教授の独り言 (166) 横綱稀勢の里誕生

更新日 平成29年1月30日

 27日の明治神宮での稀勢の里横綱推挙式、その後の直会(なおらい)で私の横綱審議委員としての役目は全て終了しました。あっという間の横審10年間でした。色々とご心配を頂き、応援してくださった方々に心より御礼申し上げます。10年間相撲を十分に堪能させていただきました。2年前に当時の委員長であった内山氏から「一番暇そうな守屋さんに次の委員長をやってもらいたい」と指名されてからは全力で任務に当たったつもりです。特に最近は砂かぶり席に座っているのが腰痛で辛くなりましたが、何とか1月場所終了まで務めることが出来ました。今場所は11日間通いました。年末の稽古総見、場所後の横審、稀勢の里での一連の行事と合わせると14日通ったことになります。
 そもそも横審就任の話は2006年6月頃に澤村田之助丈から頂きました。ついては、その前に北の湖理事長(故人)にお会いして、という話になり、7月の名古屋場所に行くことになりました。朝、田之助丈と東京駅の新幹線で待ち合わせる事としましたが、田之助丈がその新幹線に乗り遅れてしまい、不安の気持ちで名古屋に向いました。その後、その年の12月まで全く話が無かったので、この話は終わったのかと思っていましたが、12月の医局会の時に突然電話連絡があり、2007年から横審委員になれることになり、天にも昇るような気分でした。それから10年間楽しかったです。最後の場所で稀勢の里が頑張ってくれて素晴らしい花道を飾ってくれました。
 それにしても今場所の稀勢の里は以前とは全く別人の大活躍でした。先場所までここで勝ってほしいと願うと必ずと言ってよいほど期待を裏切り続けて来ました。特に昨年9月の稽古総見では日馬富士に徹底的にかわいがられ10番完敗で、誰が4ヵ月後にこんなに素晴らしい相撲を取ると想像したでしょうか。今場所は琴奨菊には負けましたが、その他は大活躍で、白鵬にも勝ちましたし、ただ驚くのみでした。今場所は控えにいて変なニタニタ笑い(?)も無かったですし、目をパチクリするのもほとんど無く大変落ち着いていました。何が稀勢の里をこんなに変えたのでしょうか。ご本人が何も言わないので私にも判りません。
 昨年は年間最多勝であり、今場所の素晴らしい相撲、14勝1敗では横綱に推挙するしかありませんでした。確かに日馬富士、鶴竜の2横綱と大関豪栄道が休場してしまいましたが、それは稀勢の里のせいではないので、それで評価を下げることは出来ないと思っていました。23日の横審が短時間で終わったとネットで批判されましたが、それより以前に多くの委員と電話や直接会って色々と意見を交わしました。その結果委員会では10分か15分で私の意見を述べるのは終わりましたが、その後も何人かの委員から色々な意見が出されました。総合して稀勢の里を横綱に推薦するということになりました。
 27日に明治神宮での横綱推挙式、続いての奉納土俵入りでした。実に堂々として惚れ惚れするような土俵入りでした。私は横綱推挙式、その後の奉納土俵入りは4回目の経験でしたが、今回が最高でした。稀勢の里が土俵を休んだのは入門してから1日だけだと聞きました。しかも体は頑丈でどこも怪我していません。後は今後、稀勢の里が素晴らしい成績を残してくれることだけが願いです。