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名誉教授の独り言(241)医師を志した理由

更新日 令和4年4月8日

私は代々続いた造り酒屋の3男坊です。その私が何故医者になったのか良く聞かれましたが、実は母親が子供の私の言動を見て「この子は医者に向いているのではないか」と思い、私が小学校4年の時に、成東駅の前にあった本屋さんに行き「野口英世の伝記」を買ってきて、「親戚縁者に医者はいないのでこの本を読んで自分で医者になりたかったらなりなさい」と言ってくれました。その本を2回読んで、医者は世の為、人の為に尽くす仕事だと認識し、と医者になろうと思いました。でも、蓮沼村の小学校や中学校では全く勉強しなくても成績はいつも1番か2番でした。中学3年になった時に母親から「本当に医者になりたいのか?」と聞かれ「実は噺家か医者になるか迷っている」と言ったら「医者を目指しなさい」と言われ、千葉市内の緑町中学に転校する手続きを取ってくれました。1学期の中間試験の1週間前でした。

 

中間試験の結果は同級生500人の250番あたりでした。自分でもびっくりし、それから必死で勉強しました。1学期の期末試験で250番ぐらいになり、2学期の中間試験で100番ぐらい、期末で50番ぐらいになり、クラス担当教師からやっと千葉1高の受験を許してもらいました。

 

その後は1年浪人し千葉大医学部に合格しました。卒業後は東京第1病院で最後のインターン生として1年間を過ごし、母校の整形外科に入局しました。その後、同級生で気の利いた人は早々と開業したリ他の大学に引き抜かれたりしていましたが気が付いたら私一人残されてしまっていました。勉強もそれほどせずに、そのまま何となく大学に残っていたら助教授にさせて頂き、その後1年も経たないうちに恩師井上駿一教授がお亡くなりになってしまい、葬儀などをしているうちに教授選になってしまい、いつの間にか自分が教授に選出されてしまいました。

以後は流れに乗ってやっと定年まで勤めました。

人生とは色々あるものです、