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西田順天堂内科 鍼灸外来見学記

更新日 2018.10.24

脊椎グループ 平成23年卒
佐藤 崇司

去る2018101920日、高知県は南国市の西田順天堂内科を訪ね、西田皓一先生の鍼灸外来を見学させていただきました。

 

西田先生は御歳80を超えられ、なおも毎日外来に立ち続けておられる篤志の先生で、当初は内科(ご専門は循環器内科)の先生としてご活躍されていましたが、内科専門医を取得され、西田順天堂を開院された時に、「これでなんでも治せる一人前の医者になったと思ったが、実際には目の前の患者の肩こりも治せない」事に気付き悩まれ、紆余曲折を経て東洋医学の門を叩かれました。以後鍼灸の修行に没入され、先生の御人徳もあって中国の有名な鍼の大家に数多く師事、その腕を数十年に渡り磨き続けて来られたという先生です。

西田順天堂は内科の医院でありながら(整形外科または東洋医学の看板は一切出しておりません)、「あの先生の鍼は不思議と効く」と言う口コミが多くの患者さんを呼び、今では外来患者の8割以上の方が運動器疼痛を愁訴に受診されています。他にも線維筋痛症、難治のアトピー性皮膚炎、様々な内臓疾患、脳血管障害後の麻痺や痺れなど、ありとあらゆる病院で「貴方は治らない」と宣告された患者様が最後に望みをかけて来るところ、と自他共に認識されているようです。

私と西田先生との出逢いは、私が駆け出しの初期研修医の頃、千葉大学で和漢診療を勉強していたときに東洋医学の書を漁っていて偶然手に取った一冊の本でした。西田先生の名著「東洋医学見聞録 上巻」で、鍼灸で多くの患者さんの痛みが緩和し、驚くべき即効で治っていく過程が実に臨場感溢れた調子で描かれ、西田先生自身も日々鍼の威力に驚きながら世界を渡り歩いて腕を磨いていく様に魅了され、寝食を忘れて読み耽ったのを覚えています。その後私はご縁を頂いて整形外科の徒弟に入り、間も無く手術の日々に追われ、東洋医学への道はしばらく忘却することとなります。

出来の悪い私もお情けで今年整形外科専門医を拝命し、これで運動器疼痛に関してはプロフェッショナルの端くれである、と言いたいところですが、現実にはどうでしょうか。全くあの頃の西田先生と同じであり、未だに患者様の腰痛、肩こりなど、一つも満足に治せません。痛みに苦しむ患者様が諦めたような表情で外来を後にされる度、私は悩みました。悩んだ末に私の目に止まったのは、若かりし頃に強烈に魅了され、本棚にずっと安置されていた西田先生の本でした。

 

私は今も大学の和漢診療科にて、私のライフワークとも言える漢方について細々とご指導を頂いており、東洋医学については全く敷居や抵抗を感じません。こんな素晴らしい医療が顧みられないのはおかしい、整形外科医として真面目に東洋医学を研究し、少しでも西洋医学へ還元する、と言う(ちっぽけな)信念がありました。そして今回、無理を押してお願いし、ご多忙を極める西田先生の快諾を頂いて、高知まで行って見て参りました。

 

感想は、「Simply Fantastic」。

全身へ縦横無尽に鍼を打ち、時には痛む患部に全く触れず、あるいは瀉血させ、時に真っ赤に焼けた鍼を打ち込み、そうしているうちにあらゆる痛みの患者さんが「痛みが取れてる」「信じられない」と次々に喜んで帰っていく様をこの目で見ました。「あの人がもし私の外来に来たとして、一体どれほどの治療をしてあげられたであろうか。必ず良くなりますよ、と言ってあげられただろうか」と思い暗鬱になる気持ちなどは一瞬で吹き飛び、この目の前で起きている奇跡のような出来事は一体どうなっているのか、見届けるのに必死になっているうちに、あっという間に2日間が終わってしまいました。

 

帰りの飛行機で気づいたのは、あれだけたくさん来ていた運動器疾患の人たちへ、西田先生は湿布や痛み止めを全くと言って良いほど出していなかった事です。初診の時点で痛みが大幅に取れる人がほとんどなので、不要と。少し調べてみると、湿布、痛み止め、神経痛の薬などで毎年数千億円以上の医療費となっている、ということです。「鍼灸は日本の医療経済を救う」を掲げ、完全無料で(!)毎日何十人へと鍼灸施術を続けておられる西田先生が私に下さった言葉で本稿を締めたいと思います。

 

革命はいつも民衆から起きる。我々は鍼で医療革命を起こすんや、と。

 

最後に、このような素晴らしい機会を与えて下さいました大鳥精司教授を始め、脊椎グループおよびペインリサーチグループの先生に深謝申し上げます。